2022年4月14日木曜日

うまかたようかん

                      
 新聞の折込チラシを見ていたカミサンが突然つぶやく。「50年じゃないよ、私が子どものときもあったんだから、80年じゃないの」

 なんのことかと聞けば、「うまかたようかん」のことだった。地元スーパーが開催する「福島県産品・茨城県産品フェア」のチラシに載っていた。

話は4カ月前にさかのぼる。昔話の語り部をしている“姉さん”が、好間町下好間の佐藤製菓店で製造・販売している「いわき名物うまかたようかん」をお土産に持ってきた=写真。

姉さんと知り合ってから50年余になる。私が就職したばかりのころ、ときどき風呂をもらったり、夕食をごちそうになったりする家があった。年齢が近い独身の“きょうだい”が何人かいた。そのなかの一人が姉さんだった。

「うまかたようかん」は聞いたことがなかった。ようかんはようかんなのだが、味がさっぱりしている。とらやの「ようかん」が高級品なら、こちらは大衆品だろう。

 私は、毎日、折り込みチラシの枚数を数える。新聞は販売店を経由して宅配される。チラシは販売店の大きな収入源だ。チラシの枚数から経営状況を類推する。

 主婦は枚数より中身に関心がある。スーパーのチラシでは何が安いか、どこが安いか――そうやってカミサンがチェックしていたチラシに、うまかたようかんが載っていた。

 そのチラシを見ると、「北海道産小豆と手亡豆を使用し、甘みを抑えた食べやすいようかんです。いわきで50年愛されている商品です」と書かれていた。

「手亡」は「てぼう」と読む。白いインゲン豆のことらしい。うまかたようかんの写真にはやはり「いわき名物」の冠が付いている。

製造業者は「林屋」とある。ネットで検索すると、すぐわかった。勿来町関田西二丁目の林屋製菓工場だった。

うまかたようかんの歴史が50年、あるいは80年というのは、その土地に根づいた和菓子屋と消費者の関係を表しているのだろう。

カミサンは平のお城山の西麓で生まれ育った。好間とは地続きだ。佐藤製菓店のうまかたようかんかどうかはともかく、小さいころからうまかたようかんが手に入る環境にあったようだ。

ついでに「うまかたようかん」で検索を続ける。いわき市内のお菓子屋さんはすぐ出てくるのだが……。よそのマチにはないのかもしれない。つまりは「いわき名物」。

「豆大福」で有名な内郷綴町の「ふくみや」でもうまかたようかんをつくっている。佐藤製菓店にほど近い、好間町の菓匠庵は毎週日曜日、ヨークベニマル上荒川店と内郷店でうまかたようかんを販売している、とあった。

好間、内郷、勿来はかつて炭鉱で栄えた。その盛衰とうまかたようかんは関係がないのかどうか。ふと、そんなことを思った。

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