WHO(世界保健機関)が新型コロナウイルス感染症の「パンデミック(世界的大流行)」を宣言したのは、2年前の2020年3月11日だった。
それから1カ月余りたった4月中旬、いわき出身でスペイン中部、ラ・マンチャ地方のトメジョーソに住む画家阿部幸洋に電話をした。
ヨーロッパではイタリアとスペインで、新型コロナウイルスの死者が突出していた。カミサンが心配して現地の様子を聞いた。
トメジョーソでも200人ほどが亡くなった。都市封鎖(ロックダウン)が続き、軍隊が出て道路を封鎖している。理由もなく外出すると罰金が科せられる。バル(軽食喫茶・酒場)も閉鎖された。それに比べたら日本は甘いよ――という話だった。
いわき市泉ケ丘のギャラリーいわきで4月7日から12日まで、阿部の新作油彩画展が開かれている。本人も一時帰国をした、と案内状にあるので、2日目の8日、夫婦で出かけた。
リアルな対話をするのは何年ぶりだろう。記録(ブログ)を見ると、2019年10月、やはり同じ会場で個展を開いたとき以来だから、2年半ぶりか。
阿部はずっとラ・マンチャ地方の風景(建物・平原)を描いている。あるときは夕暮れを、あるときは特定の色を、といった具合にテーマを決めて制作する。
今回はピンク色を取り入れていた。ピンクがかった曇り空や建物の壁が明るさを演出する。記録によれば、7年前の個展でもピンク色を使っていた。
一番大きな作品=写真=は、タイトルが「春の午後」。鳥の目で集落と背後の平原、そして曇り空を描く。色調も下から上へと明るく変化する。ほかにも「春近し」「秋の夕」といったタイトルの作品が並ぶ。
阿部は去年(2021年)11月、コロナ禍後では初めて帰国し、実家のアトリエでこれらの作品を描いたという。スペインへは6月に戻る。
さて、阿部とは絵の話だけでは終わらない。亡妻すみえさんがわが子のようにかわいがっていた青年がいる。ラサロという。今は「アート&デザイン」の仕事をしている。すみえさんが亡くなって間もない2010年2月、阿部とともに来日し、わが家へも顔を出した。
その弟、ダニエルは大の日本びいき。スペインのUCLM(カスティーリャ=ラ・マンチャ大学)で日本の歴史を教えている。コロナ禍前は、夏休みになると研究のために来日していた。
2019年は、阿部の依頼でダニエルのホームステイを引き受けた。といっても、わが家の向かいにある故義伯父宅を提供しただけだ。妻のラサレットも一緒だった。
ダニエルは高校生のとき、すみえさんに日本語を習った。超文法ながら日本人とやりとりができ、大学で日本の歴史を教えるようになったのも、すみえさんのおかげだろう。
去年(2021年)秋、ダニエルとラサレットが正式に結婚した。阿部の母親も元気だという。コロナ禍の世界、スペインと日本。阿部が伝える一人ひとりの消息が心に染みた。
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