この日は集落の中央に「春日神社」ののぼりが立つ=写真上。これが唯一、磐越東線の乗客やそばの県道を通るドライバー、アカヤシオ(岩ツツジ)の花見客に、この集落が「ハレの日」であることを告げる。
お祭りは、集落の誇りでもあるアカヤシオが満開になるころの日曜日と決まっている。今年は4月14日に決まった。ところが、例年より開花が早く、3月下旬には咲き出した。4月中旬には散っているかと思われたが、冬に逆戻りしたような天気が続いて持ちこたえ、全山みごとな花盛り=写真下=の中での春祭りとなった。
私が参加するようになって、もう20年以上になる。集落の住民も同じ数だけトシをとった。山中の社への急坂がこたえる。「社を下に移すべ」。去年(2018年)までは個人のつぶやきだったのが、今年は直会の席で議論されるところまできた。
それにはこんな事情も関係している。現住する人間はこの数年で4人が亡くなり、7世帯14人に減った(うち若い世代は4人。小・中学生はいない。一番小さい子が今春高校に入学した)。春日様の参拝・直会の参加者は、集落を離れて暮らす1人と、週末だけの半住民である私が加わり、9世帯となる。が、「限界集落」であることに変わりはない。
住んでいる家が3~4世帯だけになったら、祭りは維持できない。いずれ人は死ぬ。無住になっても、牛小川の暮らしを知る次世代以降に「4月第2日曜日は牛小川に集まる」といった取り決めをして、きずなを維持しないと、集落は原野化する。人の目に触れる場所に社を下ろす。そうすれば、花見客や系列の神社の氏子は拝礼し、そこに人の営みがある(あった)ことを想像できる――。
直会では、そんなところまで話が広がった。本格的な議論はこれからだろうが、集落の総意がこうして形成されるという点では、「直接民主主義」の実例を見ているような感覚になった。
0 件のコメント:
コメントを投稿