年度替わりに伴う行政区関係の提出書類がいくつかある。引き続き行政嘱託員を務めるので、書類の数は少なくてすんだが、悪い癖でいつも先延ばしにしてしまう。で、今年(2019年)はつい締め切りの日になって、あわてて書いて保健所へ、という羽目になった。
合間に、某ごみ集積所の件で役所から電話が入る。昼前にはテレビをつけて新元号の発表を待つ。そこへ、若い元同僚が転職先でつくっているフリーペーパーを持ってきた。いつもだと、そのまま茶飲み話に入るのだが、「新元号発表の時間だから」と、気を利かして帰っていった。
「令和(れいわ)」か――。最初に思ったのは、言葉の意味よりも「れい」の音(おん)の“現代性”だった。レイ、レオン、レオ……。若い人にはなじみやすいR音だ。
午後は、カミサンのアッシー君になって、あちこち回った。最後は市役所へ。用を済ませるまで、車中で文庫本を読んだり、令和の令の熟語に思いをめぐらしたりした。令息・令嬢・令夫人……。令は一種の美称なのだ。でも、一番なじみがあるのは命令だな、そちらの令が支配する社会はいやだね――なんて脳内でつぶやいているところへ、カミサンが戻ってきた。
命令されたわけではないが、用がすべてすんだとかで、家へと車を走らせる。市役所の隣は平中央公園で、交差点の角にある公園のソメイヨシノが五分咲きだった=写真。一時、空を覆っていた雲が東に去り、暖かさが戻っていた。
そうだった、朝、回覧資料を配っていたとき、ツバメを見た。今年初めてだ。それだけで幸せな気持ちになったのだった。
0 件のコメント:
コメントを投稿