金曜日(4月12日)の朝ドラ「なつぞら」を見ていたときだ。
主人公の女の子が同級生の男の子の家を訪ねる。一家は東京で戦災に遭い、開拓農民として北海道へ移住した。割り当てられた土地はやせていて、作物がよく育たない。親は離農を考えている。「オレの力じゃどうすることもできない」。男の子が泣き崩れる。
大正末期から昭和初期にかけて、いわきから十勝地方に隣接する道東へ移住し、結果的に開拓に失敗して帰郷した詩人猪狩満直の一家を思い出した。
翌13日、つまりきのうは、周囲の開拓農民が協力してその土地を開墾する=写真。と、一気に9年が過ぎて、女の子と男の子は青春まっただ中の若者に成長していた。みんなが協力して耕した荒れ地は、緑豊かな畑になっていた。
ドラマの戦災移住と同じように、満直が移住したころには関東大震災による被災者移住があった。
満直は大正14(1925)年春、養父との確執から脱するため、「補助移民」となって、阿寒郡舌辛村二五線(阿寒町丹頂台)の高位泥炭地に入植した(北海道文学館編『北海道文学大事典』)。
補助移民とは? 元札幌大学長・桑原真人氏の「北海道の許可移民制度について」が理解を深めてくれた。
――北海道の近代化は内地からの移民に依存せざるを得なかった。屯田兵がその典型だが、開拓使時代から道庁時代に入ると、自主的な北海道移民が増加し、移民保護政策が財政的に負担となり、屯田兵を除いてそのほとんどは廃止されてしまう。
しかし、関東大震災後は、罹災者を北海道へ移住させる政策的配慮もあって、再び北海道移民への保護政策が復活する。それが、内務省によって推進された『補助移民』制度だ。この政策はある程度の成功を収めたので、昭和2年から開始される『北海道第2期拓殖計画』(第2拓計)の中にも継承され、『許可移民』制度として実施されることになった。――
こういう制度的背景(資金的な援助も含めて)を押さえながら、吉野せいの短編集『洟をたらした神』に収められた「かなしいやつ」を読んでいたので、朝ドラの開墾風景には思わず感情移入をしてしまった。
「かなしいやつ」に、満直がせいの夫・吉野義也(三野混沌)あてに書いた手紙が紹介されている。「俺もデンマルクの農業でも研究して理想的な農業経営をやりたいと思っている」
「デンマルクの農業」とはデンマーク式の有畜農業のことだ。同時代、デンマークから選抜されて北海道へ入植した一家は、北欧風の白い木造家屋を建て、畜舎をつくり、農耕馬2頭、乳牛6頭、豚20頭、鶏50羽を飼い、プラオ、カルチベーター、ハロー、ヘーレーキ、播種機、種子選別機などの機械を使って15町歩の有畜農業を経営した(北海道・マサチューセッツ協会ニューズレター日本語版=平成20年7月26日発行)。
内村鑑三の『デンマルクの国の話』にこうある。「デンマルクの富は主としてその土地にあるのであります。その牧場とその家畜と、その樅と白樺との森林と、その沿海の漁業とにおいてあるのであります。ことにその誇りとするところはその乳産であります、そのバターとチーズとであります」
朝ドラでも牛乳をつかったアイスクリームやバターが登場する。北海道の移民史やデンマーク式の農業その他、あれやこれやを思い浮かべながら見る楽しさが、この朝ドラにはある。
そういえば、草刈正雄演じるひげのじいさんは明治後期に入植した「北海道移民1世」という設定だ。満直よりは一回り大きい。
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