木村さんは東日本大震災以来、140文字のツイッターで「震災詩」を書き続けている。前の詩集にはその中から67篇を、今度の詩集には68編を収めた。
詩集のタイトルとなった「六号線」(国道6号)について、木村さんは冒頭でこう述べている。「六号線とは、東京電力福島第一原子力発電所と福島第二原子力発電所の『十基の原子力発電所』の側を通る南と北の大動脈路です」。この基幹道路は、四輪車は普通に通行できるようになったが、富岡~浪江間は歩行者や二輪車の通行はまだ認められていない。
8年前の東日本大震災時、地震と津波で1Fが事故を起こした。原発立地町と周辺自治体を含めて、一時は16万5000人が避難した。今も4万人以上が避難を余儀なくされている。
きのう(4月6日)の福島民報によると、1Fの立地する双葉・大熊両町のうち、大熊町が今週の水曜日(4月10日)、居住制限、避難指示解除準備両区域の避難指示が解除される。しかし、同町は帰還困難区域が圧倒的に多い。
詩集のタイトルにもなった序詩の「六号線」を紹介する。「避難していたときの/あの混乱が/六号線にはまだ残っている//その車道を/老いて背中を丸くした魚が遡上していく/詩を書く魚だ//二〇一七年三月三十一日で/帰還困難区域を除き/大部分の困難区域は解除された//老いて詩を書く友達の魚は/古里に戻るという/若い魚は戻らないという//思慮深く/何度も何度も推敲したのだろう」
タイトルを入れてちょうど140文字。「詩を書く魚」は著者自身だろう。友達の詩人の子ども、「若い魚」は、親とは別にふるさとへは戻らない。
原発事故は避難者ばかりか、周辺の自治体に住む人間にも分断を強いた。木村さんはそれを<軽み>に包んで表現する。抑制されてユーモアさえ感じさせる言葉が読み手の心にしみる。
沿岸部では津波で多くの人が亡くなった。タイトルを入れて100文字の「星の降る夜」では、こうつづる。「星の降る夜は/悲しみの魂が/大地を這い上がろうとする//震災死という言葉の中には/たくさんの無念さが/包まれて取り残されている/生きていると思いたいから/復興の大地は/その悲しみを受け止める/器になるしかない」
メディアでは掬いきれない片隅の声の数々。木村さんの詩からはそうした人々の悲しみ・怒りが聴こえてくる。
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