2019年4月18日木曜日

山に上がったゲンゴさん

おととい(4月16日)、拙ブログで夏井川渓谷の小集落・牛小川にある「春日様」の祭りと直会(なおらい)の話を書いた。最後に、次のような文章を載せた。
――(直会では)世捨て人のように山にこもり、時折、集落をうろついていた「ゲンゴさん」のことも話に出た。住民が子どものころだったそうだから、昭和30(1955)年代後半から40年代前半のことか。

哲学者の内山節さんが『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(講談社現代新書)と『「里」という思想』(新潮選書)の中で、人間の「山上がり」について書いている。そのことを思い出した――。

 まだ木炭やマキが燃料の主役だった時代、牛小川も山仕事でうるおっていたそうだ。そのころ、集落から二つほど峰を越えた山中に、ゲンゴさんが掘っ立て小屋をつくって住みついた。ゲンゴさんは時折、牛小川に現れた。「春日様」のやしろに寝泊まりすることもあった。

 渓谷の山は、標高はそれほどではないが、V字谷になっているので険しい=写真(2018年4月15日撮影)。そんな山中にひとりで暮らすにはわけがあったのだろう。牛小川の住民はそんなゲンゴさんを受け入れ、見守ってきた。ゲンゴさんは山仕事に加わって賃稼ぎをすることもあった。

 内山さんが紹介している「山上がり」は、内山さん自身が東京と二点居住をしている群馬県上野村でのかつての話だという。昭和30(1955)年ごろまで、「いろいろな理由から経済的に困窮してしまう村人がいた。こんなとき村では、<山上がり>をすればよい、といった」。

「<山上がり>とは、山に上がって暮らす、ということである。森に入って小屋をつくり、自然のものを採取するだけで、たいていは一年間暮らす。その間に働きに行ける者は町に出稼ぎに出て、まとまったお金をもって村に帰り、借金を返す。そのとき、山に上がって暮らしていた家族も戻ってきて、以前の里の暮らしを回復する」

ゲンゴさんは、もしかしたら街からの「山上がり」だったのかもしれない。ゲンゴさんは山の豊かさに助けられ、山里の住民に排除されることなく、山中で暮らすことができた。今、こうしたホームレスはいるのだろうか。

現代人はとっくにサバイバル術を失っている。というより、生まれたときから便利な暮らしのなかで生きている。これを文明の進歩とみるか、野性の退歩とみるかは、意見の分かれるところだろう。

ゲンゴさんはしかし、山火事を起こした。それでいなくなったかどうかは聞かなかったが、牛小川の住民はそのことも含めて、子どものころの強烈な思い出として、ゲンゴさんをなつかしく振り返るのだった。

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