神社は丘の上にある。おととしまでは、ふもとに車を止め、正面の急な石段を上ったが、年々きつくなる一方だ。車で頂上の社務所脇まで行ける女坂がある。それを教えられて、去年からは車で迂回しながら上まで行くようにした。
早めに着いて境内をぶらついていると、隣区の新区長が石段を上って来た。息を切らしている。車で来られる坂があることを教える。「来年はそうしよう」
式典直前、新区長が空を見上げて言った。「飛行船かな、音がしない」。見ると、ジェット旅客機だ。ボデーは白く、尾翼が赤い。飛行機雲が発生しないのは、上空の空気が乾いているからだろう。夏の日差しのような秋の空だ。天気は申し分ない。すでに子供みこしは地区内を練り歩いている。
大人のみこしは拝殿に安置され、式典の最後に神様を移し入れる儀式をすませたあと、ふもとの集落を練り歩く。担ぎ手が足りないらしく、途中で東日本国際大学の学生が加わる、ということだった。
これも少子高齢化の「少子」が影響している。1971~74年に団塊ジュニアが生まれたあとは、出生率は下がり続けたままだ。つまり、48~45歳から下は年齢が下がるにつれて数が減っている。みこしを担ぐのは20、30代の若手だが、重いみこしを担いで練り歩けるだけの人数が確保しづらくなってきた。で、学生に応援を頼もう――となったのだろう。
これまで10月10日前後に行われていたのが、去年(2018年)、今年と9月の敬老の日の前日、日曜日に前倒しされた。ほかの行事との兼ね合いもあるらしい。
昔から続く伝統行事とはいえ、毎年同じかたちを維持するのは難しい。時代に合わせて変えられるものは変える、変えてはならないものは変えない――式典後の直会(なおらい)でも、俳聖・芭蕉の「不易流行」にたとえたあいさつがあった。
出羽神社のみこしは堤防安全を願って夏井川にも渡御する。ある年の例大祭で、みこしをかついでいた若者たちが夏井川に入り、みそぎをするのを見たことがある。午後遅く、たまたま堤防の上を車で通りかかったら、集落からみこしが現れ、河川敷へと下りて行ったのだった。川と人間の、カミを介した原初的なふれあいが、今も強い印象となって残っている。
きのうは直会後、帰宅し、車ですぐ夏井川渓谷の隠居へ向かった。再び出羽神社の参道前を通ると、ふもとの小集落を祭りの一行が練り歩いていた=写真。みこしは軽トラに乗っていた。
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