2019年9月28日土曜日

吉野せいの新評伝

 きのう(9月27日)の夕方、カミサンの幼なじみからカミサンに手紙が届いた。中身は私あてだった。
 カミサンの幼なじみはいわきに住んでいる。東日本大震災後、東京新聞を購読するようになった。先の日曜日(9月22日)の読書欄に、批評家若松英輔さんが作家小沢美智恵さんの本、『評伝 吉野せい メロスの群れ』(シングルカット社)の書評を書いた=写真。

「チラッとご覧になるかしら」と、1ページ分を切り取って送ってくれた。チラッ、どころか、食い入るように読んだ。同書は今年(2019年)7月に刊行された。せいの評伝のなかでは最新作だ。作者についてはしかし、全く知らない。

「百姓バッパ」吉野せいが70歳を過ぎて書いた短編集『洟をたらした神』が昭和49(1974)年、弥生書房から出版され、翌年春には大宅壮一ノンフィクション賞・田村俊子賞を受賞する。

 もともと、せいは文学少女だった。大正元(1912)年秋、磐城平に赴任した牧師で詩人の山村暮鳥の知遇を得る。暮鳥がブレーキをかけなかったら、若いうちからひとかどの作家として名を成していただろう――という点では、衆目が一致する。その代わり、土の文学の『洟をたらした神』は生まれなかっただろうが。

 暮鳥のいわきの盟友でもある開拓農民で詩人の三野混沌(本名・吉野義也)と結婚後は、仕事と子育てに追われた。混沌の死後、ほぼ半世紀ぶりにペンを執り、『暮鳥と混沌』や『洟をたらした神』などを刊行する。特に後者の本は世間に衝撃を与えた。

 書評によると、作者の小沢さんが注目するのは、半世紀近く「書かなかった期間に吉野の心のなかで起こっていた出来事であり、再びペンを握るまでの道程である。作家が『何を書いたか』ではなく、『何を書かなかったか』にこそ人生の秘密を解く鍵がある、と作者はいう」。せいはいったい何を書かなかったのだろう。

すぐに続けて評者はいう。「この不朽の文学が生まれるには二つの死があり、それを契機とした死者との交わりがある」二つの死とはむろん、1歳にもならずに死んだ次女梨花と、76歳で亡くなった夫のことだろう。

昭和5(1930)年12月30日、梨花が急性肺炎のためにわずか9カ月余のいのちを生きただけでこの世を去る。せいはこのとき、31歳だった。

梨花の死の1カ月後、1月30日に書き起こされ、4月28日まで書き続けられたせいの日記が、「梨花鎮魂」として残る。2月13日の記述が胸に刺さる。「梨花を思ふとき創作を思ふ。梨花を失ふたことに大きな罪悪を感じてゐる自分は、よりよき創作を以て梨花の成長としよう。創作は梨花だ。書くことが即ち梨花を抱いてゐることだ」。それから40年後の夫の死で、さらにその思いが膨らんだ。

 書評には、さらにこんなくだりがある。「吉野の筆名の『せい』は『星(せい)』である。その由来をめぐって作者は、『どこ迄(まで)も美しく正しくしたい』という願いのあらわれではなかったかと記している」。

このへんは新しい解釈というべきか。せいの戸籍上の名前はセイ。大正前半、10代で福島民友新聞文芸欄に短編を発表したころは、「若松精子」「若松小星」といった筆名を使っている。

 書評を読んだあと、いわき市立図書館のホームページで所蔵の有無をチェックする。なんと「貸出中」だった。では――と、阿武隈の稜線に夕日が沈むころ、鹿島ブックセンターへ車を走らせる。あるとすればスペースの広い同店、というのが、思い立ったときのパターンだ。

 入荷はしていなかった。出版元のシングルカット社は初めて聞く名前だ。書店員もそうだったらしい。ネットで検索し、同社へ電話を入れたが、つながらない。在庫があればすぐにでも、と頼んで店を出る。と、帰りの車のなかでケータイが鳴る。カミサンに出てもらう。出版元と連絡が取れた、在庫があったというので、できるだけ早く取り寄せてくれるように頼む

本のタイトルが気になる。「メロスの群れ」。メロスとは、あの太宰治の「走れメロス」のメロスにちがいない。メロスが複数いることになる。混沌を、詩人猪狩満直を、暮鳥を、その他もろもろの人間を指すのか。早く読んで確かめたい。(ついでながら、今晩は夏井川渓谷の隠居に泊まるため、あしたのブログは休みます)

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