2019年9月24日火曜日

ソサエティ5.0とは?

 これからは、社会に開かれた教育、だという。3連休最初の土曜日(9月21日)、いわき市文化センターでいわき地域学會の第350回市民講座が開かれた。文科省から福島大学に事務局長として出向している、いわき市出身の内田広之会員が「令和時代の教育を考える~明治から平成までの回顧と展望」と題して話した=写真。
 明治から平成までの教育の流れ、特に明治期の教育史の解説が新鮮だった。令和、つまりこれからの時代に必要な教育とは――も示唆に富んでいた。「社会に開かれた教育課程」の実現、言い換えれば「よりよい学校教育を通じてよりよい社会を創(つく)るという目標を共有し、社会と連携・協働しながら、未来の創り手となるために必要な資質・能力を育む」ことが大事になってくるという。

その前提となる新しい社会像「ソサエティ5.0」についても説明した。ソサエティ5.0については、聴講した2人の市議以外、誰も知らなかった。むろん私も初耳だ。内田さんの説明を聴き、ネットで調べて、一種の文明論であることを知った。そちらにかじを切る。

文明の流れを俯瞰したときによくいわれることだが、人類は①狩猟社会②農耕社会③産業社会――という段階を踏んで、現在、④の情報社会を生きている。日本が提唱している呼び方にならえば、①ソサエティ1.0②ソサエティ2.0③ソサエティ3.0④ソサエティ4.0、そして次の⑤ソサエティ5.0――である。⑤はつまりポスト情報社会、あるいは情報社会の進化(深化)形か。

ソサエティ5.0は、サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題を両立させる人間中心の社会、と定義されるようだ(ウイキペディア)。

情報社会が進化(深化)してビッグデータが蓄積される、人工知能(AI)がさまざまな場面に活用される――。サイバー空間と結びついた暮らしの例としては、遠隔診療、ドローン宅配、無人トラクター、AI家電、自動走行バス、介護ロボなどが想定されている。暮らしだけでなく、教育のあり方も当然変わってくる。

私の脳みそは、未来学者アルビン・トフラーがいう「第三の波」の上で止まったままだ。狩猟時代から農業革命、産業革命を経て、情報革命の時代に入ったことを、1990年代の職場のOA(オフィス・オートメーション)化で実感した。しかし、その先が見えていなかった。トフラー流にいえば、ソサエティ5.0は「第四の波」。それを実感するのは孫たちか、といったレベルにとどまる。

明治維新以後の日本についてはこんな言い方もされてきた。日本は工業化と都市化を実現することによって近代化をなしとげた。そして、ポストモダンの展開として、「脱工業化」(トフラーのいう第三の波)と「脱都市化」が言われるようになった。

脱工業化は「情報化社会」となり、脱都市化としては「森林化社会」が提唱された。しかし、現実には少子高齢化社会が急速に進んでいる。温暖化などの環境問題も深刻になっている。

少子(孫たち)と高齢(私らジイバア)を、ソサエティ5.0の土俵でどう考えたらいいのだろう。いや、少子・高齢を見すえた結果として、ソサエティ5.0が構想されたというべきか。ソサエティ5.0は自然をどうとらえているのか。この点も気になる。

新しい宿題をもらったようなものだ。まずは、ソサエティ5.0を象徴する日本語を、狩猟・農業・工業・情報ときて次の社会を象徴する漢字2文字を探さないと――。

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