2020年2月11日火曜日

西の空の満月

週の初め、月曜日最初の仕事は朝6時半ごろ、家の前のごみ集積所にネットを出すことだ。燃やすごみの入った袋とネットを持って外へ出ると、東の空の雲が赤く染まっていた。西はと見れば、うっすら赤みがかった雲の切れ間に白くまん丸い月が浮かんでいた=写真。

2月は9日が満月、3月は10日だ。10日は東京大空襲と最初の平空襲の日でもある。翌11日は東日本大震災から満9年の日。そして、今年(2020年)は戦後75年の節目の年だ。
前の日曜日(2月2日)、いわきロケ映画祭実行委員会がいわきPITで「ガラスのうさぎ」の上映会を開いた。映画のあとのトークショーで、原作に出てくる「勿来のおばさん」と平空襲について話した。

PITのロビーには、防空頭巾と平空襲で投下された焼夷弾の空筒が展示された。それに刺激されて、図書館から東京大空襲の本を数冊借りてきた。今はロナルド・シェイファー/深田民生訳の新装版『アメリカの日本空襲にモラルはあったか 戦略爆撃の道義的問題』(草思社)を読んでいる。

タイトルにある「モラル」についての言及は、本の前半にはない。都市そのものを標的にし、早く戦争を終わらせよう――太平洋戦争で反転攻勢に出たアメリカは、日本本土に照準を合わせる。

飛行隊戦術学校の教官が関東大震災を例に、焼夷弾が対日航空作戦に有効だと講義する(1939年春)。最も積極的に「火炎攻撃」を提唱したのは科学者でも軍人でもなく、保険の専門家だった(火災保険を扱うので、火災には精通していた?)。

1944年初頭には「エグリン・フィールドに日本の建物群に見立てた『小東京』と呼ばれる小さな村をいくつか建設した」。そこへ焼夷弾を投下して「専門家はそれらの建物群内の火炎の広がり」を分析した。

さらに、「選択的爆撃戦略」を主張する第21爆撃群の司令官に代わって、日本の市街の火炎攻撃を辞さない司令官が就く。その司令官が夜間・低空飛行による「第二次大戦最大の大惨事である1945年3月10日の東京大空襲を命令した」。

軍・官・産・学が総力を挙げて焼夷弾攻撃へと突き進む。その手続き・判断・実行の流れには圧倒された。来月10日の晩には、どんな思いで満月を見上げることだろう。

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