映画が封切られたのは昭和34(1959)年。私が小学5年のときだ。翌年封切られた「赤い夕陽の渡り鳥」は福島県の会津が舞台。「ギターを持った渡り鳥」は見た記憶があいまいだが、「赤い夕陽の渡り鳥」ははっきり覚えている。磐梯吾妻スカイラインでも激しいアクションが繰り広げられた。
昭和30年代は、阿武隈の山里でも映画館に人が詰めかけるほど邦画が全盛だった。私も小4年のあたりから映画館へ通い続けた。東映の時代劇と日活のアクション映画に熱狂した。
中学1年のとき、近所に独立したばかりの若い大工さんが引っ越してきた。ギターが趣味で、ときどき歌謡曲をつまびいていた。面白がって見ていると、小林旭の「ギターを持った渡り鳥」を教えてくれた。それからギターを弾くようになった(今は、ギターはケースに入ったままだが)。
邦画でいえば、「ギターを持った渡り鳥」の歌と、加山雄三の「君といつまでも」は、ギターの名曲だ。「君といつまでも」は映画を見て覚えた。
そのころ、「平凡」「明星」といった雑誌があったように記憶する。その雑誌かなにかで「日活ダイヤモンドライン」ということばを知った。野球の4つのベースになぞらえたかどうかはわからないが、石原裕次郎・小林旭・赤木圭一郎・和田浩治の4人のことをいった。
なかでは、小林旭と赤木圭一郎の映画をよく見た。それで、共演者の宍戸錠を知った。あのほっぺたのふくらみ、あれは子ども心にも忘れ難いものだった。わざわざ豊頬(ほうきょう)手術をしたと聞いて、そこまでやるのかと驚いた記憶がある。思春期を彩るスターがまたひとり、空に帰った。
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