2020年2月9日日曜日

猪狩満直とビルマ豆

 3年前の2017年3月、在来豆の研究家・長谷川清美さんと知り合った。いわきの昔野菜(伝統野菜)に小豆の「むすめきたか」がある。フェイスブックを介して連絡があり、いわき昔野菜研究会の仲間と三和町の「むすめきたか」の生産者宅へ案内した。
 先日、電話がかかってきた。2月7、8日といわきで開かれる市主催のイベントに講師として参加する。イベントが終わったあと、わが家を訪ねたいという。どうぞ、どうぞ、である。

きのう(2月8日)夕方、市の車に送られて長谷川さんがやって来た。会うとすぐ、豆の本2冊の恵贈にあずかった=写真(左が『日本の豆ハンドブック』=文一総合出版、右が『「バーミキュラ」で豆料理』=PARUCO出版)。3年前にも『べにや長谷川商店の豆料理』(パルコ)をちょうだいしている。

 長谷川さんは北海道出身。『べにや長谷川商店の豆料理』で北海道の豆のひとつ、「ビルマ豆」を知った。「むかし小豆が不作だった年、小豆のかわりに餡(あん)の材料に使われたといいます。比較的収量もあり、ご飯といっしょに炊くビルマ豆ご飯は北海道の郷土食です」

なるほど、なるほど――。吉野せいの『洟をたらした神』に収められている詩人猪狩満直(1898~1938年)の回想記「かなしいやつ」に出てきて、イメージがつかめなかった「ビルマ豆」が具体的なかたちと用途を伴って迫ってきた。そこから一気に調べが進み、北海道へ移住した直後の満直の暮らしと、満直が目指した「デンマルクの農業」の姿が見えてきた。

 大正14(1925)年4月、開拓農民として現いわき市好間町から北海道へ渡った満直が、故郷の盟友・三野混沌(吉野義也)に手紙を出す。それが「かなしいやつ」のなかに紹介されている。

「ここ二ヶ月というものは粉骨砕身、文字通りの生活だった。殆ど時間空間の意識もないはげしい労働の中に躯(からだ)を投げ込んでいた。予定通り二町歩の開墾終了。稲黍(いなきび)、ビルマ豆(菜豆=さいとう)、ソバまいた。(略)秋の霜害がなかったらこれで飢える心配はない」

 長谷川さんの豆の研究といわきの文学、とりわけ北海道ゆかりの満直がでてくる「かなしいやつ」がリンクするとは――『洟をたらした神』の注釈づくりをライフワークにしている身としては、大収穫だった。

きのうもきのうで収穫があった。長谷川さんの話では、ビルマ豆は通称「ばか豆」、自家消費用に栽培された。ばかみたいに採れる、天候不順のときにも採れる――とくれば、新規入植者にとっては、願ってもない救荒作物だ。

私からは、ビルマ豆が出てくる『洟をたらした神』のコピーと、ビルマ豆と満直の手紙に触れたブログのコピーを長谷川さんに進呈した。『洟をたらした神』の作品解釈を深めることができた――そう言い添えると、意外な利用に驚きながらも喜んでくれた。「かなしいやつ」を読んでくれるとありがたい。

0 件のコメント: