いわき地域学會が発足して間もない昭和62(1987)年、勤務していたいわき民報で週1回、1年間、主に会員の寄稿による「わが町ウオッチング」を企画した。翌年春には、佐藤孝徳著『昔あったんだっち』に続く同学會図書2として出版された=写真下。
連載3回目は現いわき総合図書館長氏が担当した。「中神谷(平)」にからめて街道松を取り上げた。
「神谷八丁樋(はっちょうひ)バス転回所付近4本。/草野公民館前1本。/草野公民館の先、原高野(はらごや)橋手前4本。/原高野橋北2本。/四倉にはいって、切り株のみ4本。/四倉の町にはいって、3本(説明版あり)/私の記憶では、わが家の近所にも浜街道の松の大木が、3本あったような気がする」
四倉はさておき、隣接する神谷と草野だけでも昭和60年代初頭にはまだ11本の街道松があった。それが現在は公民館前の1本だけになった。
このごろは近現代史のなかでいわき市内の地域の変遷を振り返ることが多くなった。『わが町ウオッチング』は、それこそ昭和60年代初頭の地域の様子と、地域の人間の思いがわかるテキストだ。ずいぶん久しぶりにパラパラやったら、当時と今とではかなり印象が違う。このエッセー集も、テキストどころか“史料”になりつつある――そんな感じを抱いた。
そして、これはほんとうに偶然なのだが、去年(2019年)の晩秋、公民館前のマルト草野店へ買い物に行った帰り、助手席のカミサンに頼んで街道松の写真を撮った=写真上。いずれこの松も姿を消す。今のうちに撮っておかないと、たちまち記憶からこぼれ落ちる、と考えてのことだった。
にしても、この貧相な姿はどうだ。車が行き交うために、道路側の枝は大胆にカットされている。公民館側へフェンスを支えに太い枝が1本、電線があるために切られたこずえの下から、西隣の消防団詰め所の方へ細い枝が伸びる。なんとも痛々しい歴史遺産ではある。
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