2020年9月10日木曜日

落ちる、落ちる

        
 庭のフヨウの花が音もなく落ちる。咲き出したのは8月後半。一日花だから、咲いてはしぼみ、咲いてはしぼみ、を繰り返す。勝手に増えた若木が2本。3本で一日に20~30個は花を咲かせる。それだけ毎日、閉じた花が落ちる。落ちる、落ちる。

青柿も「ボゴン」と音を出して落ちる。柿の木の下に、用済みになって20年もたつ犬小屋がある。そのトタン屋根に当たる。車の屋根にも落ちる。「コツン」。こちらは乾いた音だ。車の屋根がでこぼこになっても困るので、止める場所を替えた。今度は「グシャッ」、もろに地面に落ちて低い音を出す。

青柿と咲き終わったフヨウの花とで、庭が少し汚れてきた=写真。花を踏みつけてしまう。青柿の饐(す)えた匂いがかすかにこもる。

私ら一家が移り住んで40年ほどになる。庭の柿の木はすでにあった。家は、平・久保町で営業している米屋の支店。昭和43(1968)年、義父が土地を買い、家を建てた。ということは、義父が庭に柿の苗木を植えたのだろう。

舌頭で「あ・お・が・き」と音を転がせば、義父が所属していた句会「青柿会」が思い浮かぶ。俳号は素子(そし)。三回忌に合わせて発刊した素子の句集が『柿若葉』。編集は友人に頼み、「あとがき」に代わって、「素子の句作」について小文を書いた。

『いわき市史』第6巻(文化編)によると、青柿会は昭和27(1952)年、久保町青年会の文化活動の一環として発足した。指導者は開業医で俳人の渡辺何鳴(かめい)。義父はそのとき35歳だった。公民館を中心に社会教育活動が盛んになっていた。そうした時代の空気のなかで、一種の文化活動として同じ町内の若手が学び、創(つく)る喜びを味わい、交流を重ねていったのだろう。

前衛とは無縁の定型、そして生活詠。散文でいえば「身辺雑記」(拙ブログがそう)だ。

「素子の句作」について書いた文章の一部――。句会に入る前、「二十代から手がけてきた俳句は、日常の雑事に追われながらも、その中に時折あらわれる感動を記録するうえで最適の表現形式だったのではなかろうか」。なかでも心に残るのは、広島の「八時十五分車中で合掌原爆忌」と、「平凡に生きて悔いなし落葉掃く」だ。義父の実人生はこの一句に尽きる。

今度また句集をパラパラやったら、こんな柿の句に出合った。「白壁に映ゆるひと枝柿若葉」「音ひとつ残して柿が池に落つ」。若いときの作品には「木守(きのもり)の柿残照に燦(さん)として」がある。柿が好きな人のようだった。

庭の青柿に戻る。昼、夜となく、「グシャッ」、青柿が庭に落ちてころがる。わきによけて数えたら、見えるところだけで80個余、草に隠れた落果も含めると200個はあるだろう。柿は、今年(2020年)はかつてない豊作で、見上げればまだまだいっぱい実が生(な)っている。これが甘柿ならうれしいのだが……。残ったものは干し柿にしないで、すべて鳥にプレゼントする。

何年か前、プロに頼んでばっさり剪定(せんてい)した。それがまた枝葉を広げた。隣はアパートの駐車場。そちらの車に柿が落ちるようだと問題だ。特に、熟柿。ベタッとつぶれてボデーにこびりつく。見ると、フェンスのたもとにいっぱい未熟果が落ちていた。木登りが得意な後輩に剪定を頼むしかないか。

けさも暗いうちから「グシャッ」、庭から音が聞こえてきた。鮮やかなピンクの花も点々ところがっている。

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