時代には遅れても、季節には遅れたくない――。夏井川の堤防で、ヒガンバナを見ながら思った。
家にこもって雑事に追われているうちに秋の彼岸が終わった。カミサンの実家の墓参りをしたり、夏井川渓谷の隠居へ行ったあとに山里を巡ったりはした。が、帰りは夏井川の堤防を利用せずにまっすぐ戻った。
秋の彼岸明けの9月24日、市役所からの帰りに堤防を通ると、ヒガンバナが咲いていた=写真上1。
いつものペースで堤防を行き来していたら、咲き始めて間もないときに、花に出合っていたはずだ。今年(2020年)はそれが遅れた。もう花が色あせている。「ヒガンバナの花を見ないね」。テレビを見ながらカミサンがいう。「見ない」のではなく、「見に行く」のを忘れていたのだ。たぶん、10日以上は堤防を利用していなかった。
私は、ふだんは夏井川の堤防で「生物季節観測」をしている。たまたま通ったときに、ウグイスのさえずりが聞こえた、ツバメやハクチョウが飛来した、土手のヒガンバナが咲いていた――などと、自分にとっての初鳴・初見日を記録している。
生物季節ではないが、堤防の内側(住宅地)と外側(河川敷)でも、ん?と思うときがある。畑が宅地に替わる。畑と畑の間に草が生える=写真上2。定点観測をしているとわかる変化だ。
おばあさんが草むしりをしていたような、おじいさんがネギの手入れをしていたような……。その畑と栽培者がおぼろげながら思い浮かぶ。おばあさんは入院したのかもしれない、おじいさんは浄土へ旅立ったのかもしれない……。そうして人の姿が消えた畑は、いつかは宅地に替わるのだろう。
河川敷の畑はどうか。大水になると、大量の土砂が堆積する。その土砂を除去しないと水害の要因になる。去年(2019年)の台風19号の大被害以来、市街地そばの夏井川では河川敷の土砂の撤去が進められている。
畑は、田んぼは、人の手が加わっているからこそ美しい。人の手が離れたら、荒れて寂しい自然に還(かえ)るだけだ。
季節の移り行きとともに、人間と自然の接点で観察を続けていると、時代の、社会の動きが見えてくる。だからこそ、時代には遅れても、季節には遅れたくない、と思ったのだろう。
そういえば、夏井川を横断するサケの簗場(やなば)も完成していた。対岸で生簀(いけす)をつくっているのを前に見ている。この連休中に仕上げたのだろうか。9月前半までの残暑から一転、朝晩、ひんやりとする日が増え、サケが遡上(そじょう)する季節を迎えた。
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