双葉郡大熊町から会津若松経由でいわきに避難していたお年寄りがいる。近所だったので、だんだんと家を行ったり来たりする間柄になった。去年(2019年)6月、同町の大川原(おおがわら)地区に町営の復興住宅が完成し、入居が始まった。4カ月後の10月中旬、お年寄りはそちらへ引っ越した。
それから11カ月――。用があってお年寄りが近所へやって来た。カミサンが外でばったり会い、家に招き入れた。お茶を飲みながら帰還後の話を聞いた。
写真を2枚もらった。自宅前にヒマワリが整然と植えられている。いわきでもそうだったが、「花咲かじいさん」ぶりは健在だ。奥まで続く復興住宅は戸建ての平屋で、中央を貫く道路には色違いの“レンガ”が敷き詰められている。
震災・原発事故の前、夏井川沿いを駆け上がって田村市常葉町の実家へ行き、時計回りに国道288号~山麓線(県道いわき浪江線)を利用して帰ってくることがあった。
山麓線沿いの大熊にはなじみがあるが、地名と場所は一致しない。日曜日(9月13日)に楢葉町の「ここなら笑店街」と「みんなの交流館
ならはCANvas」を訪ね、情報コーナーから大熊町関連の資料を持ち帰った。それでお年寄りが住んでいる大川原地区の位置がわかった。
おおくままちづくり公社が発行した「大川原マップ」=写真=によると、大熊の大半はまだ帰還困難区域、そして事故を起こした1Fの周辺、国道6号から東側はあらかた中間貯蔵施設だ。町の西部と中部の南半分、中屋敷(ちゅうやしき)・大川原地区だけが避難指示を解除された。大川原地区復興拠点はその中のほんの一部、山麓線と常磐道の間にはさまれた小さなエリアにすぎない。前は農地だったようだ。
これまでの経緯を同町のホームページなどで確認した。去年(2019年)3月31日、常磐道大熊ICが開通。同4月10日、中屋敷・大川原地区の避難指示が解除。同5月7日、大川原の復興拠点にできた町役場新庁舎が業務を開始。同6月1日の復興住宅50戸に続いて、今年5月1日、2期分42戸の入居が始まった。
合間の今年3月5日、JR大野駅周辺の避難指示が解除され、一部地域の立ち入り規制が緩和された。常磐線浪江―富岡間が開通し、9年ぶりに全通するのに併せ、大野駅も同14日に再開した。復興拠点は山麓線・常磐道だけでなく、常磐線とも線(道路)でつながった。
お年寄りは今も車を運転する。山麓線を利用すれば、いわきの元避難先(平)までは35キロ前後、小一時間で着く。「車がないとどこへも行けない。運転免許を更新したばかり。さすがにもうダメ、といわれるかと思ったが、あと3年は大丈夫」と笑う。「海軍の先輩たちはもう一人もいない。後輩も一人もいなくなった」。そこまで年齢を重ねたが、頭も足腰もしっかりしている。
しかし、町には戻ったものの「自分の家は帰還困難区域の中だから帰れない」。そうつぶやいたときにハッとした。ほんとうの自分の居場所に帰ったわけではないのだ。心は自然と一体となったほんとうの暮らしの場を求めている。その場はしかし、すぐそこにあるのに帰ることがかなわない。
サシで話したからこそ、町や地域の様子、お年寄りの内面が見えてきた。今度、機会があれば大川原の“仮暮らし”の家を訪ねてみようと思う。
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