朝ドラ「エール」の本放送が、月曜日(9月14日)に再開された。福島民報=写真=によると、今回は最終回が11月27日、翌28日(土曜日)に最終週の総集編を放送して番組が終わる。通常は9月末で終了し、10月から新しい朝ドラに替わるのだが、コロナ問題の影響で収録が中断され、2カ月半ほど再放送でしのいだ。
朝ドラが始まる前、キャストが発表され、主役の作曲家古山裕一(モデルは福島市出身の古関裕而)が窪田正孝と知って、あまりにも地味すぎないか――そう思ったものだった。ドラマが始まり、子役から窪田に代わった当初も、その印象は変わらなかった。
ところが、4月が過ぎ、5月に入ると……。地味な顔も、内気な主人公の性格も、そのまま受け入れられるようになった。違和感がすっかり消えていた。
「エール」は、福島市がゆかりの地。同じ福島県内だから、準「ご当地」ドラマのようにとらえているうちに違和感がほぐれたか。それもあるが、毎朝15分間見続けて、主人公が隣組の人間のように思えてきた――実は、これが一番の理由ではなかったか。
3年前の「ひよっこ」(2017年4~9月)は、「奥茨城村」出身の谷田部みね子が主人公だった。みね子が高校を卒業して同じ村の仲間2人と一緒に、集団就職列車で上京する。同じ車両に、いわきの小名浜中学校を卒業した青天目澄子(なばためすみこ)がいた(役名はすぐ出てくるのだが、俳優の名前がなかなか思い出せない)。
独りポツンと座っている澄子にみね子が声をかける。と、就職先が同じ東京のトランジスタラジオ工場だった。そこからがぜん、「ひよっこ」も準「ご当地」ものになった。半年間、みね子や澄子になじんだこともあってか、今もテレビで顔を見ると、背後霊のようにみね子が、澄子が思い浮かぶ。
「北の国から」で知られる脚本家倉本聰さんが、エッセー集『テレビの国から』(産経新聞出版)で、私が朝ドラに感じたことを業界の内側の目で指摘している。
「NHKの連続テレビ小説から、なぜスターが生まれやすいのかといえば、長く見ていると不思議なもので、たとえ芝居がうまくなくても、何かしら良さが見つかって、魅力的に感じられるからです。それは若手に限らず、ベテランも同じ。『この人いいな』『なんか気になるな』と親しみが沸いてくる。それが全8話ぐらいだと、じっくり見る前に終わってしまう」
なるほど。毎朝15分でも、半年も向き合っていると、なにかしら魅力やいいところが見えてくる、それで親しみがわいてくる――そういうことだったのかと、納得がいった。「エール」では、古山裕一の優しさ、誠実さ、芯の強さなども関係して、窪田正孝がだんだん魅力的になってきたのだろう。
これからは「戦時歌謡」を書き続け、戦後は平和を希求する歌で大ヒットを飛ばす主人公の光と影、理想と現実の葛藤が織り込まれるにちがいない。そこにこそ、このドラマのいわく言い難い味がある、と私は思っている。
わが家では、朝ドラを見るのは私だけ。カミサンはその時間、なにやかにややっている。「朝ドラどころじゃないわ」。そういわれそうだが、これからはカミサンの耳にもなじんでいる歌謡曲が続々と登場する。それがまたこちらの脳みそを刺激する。
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