2021年6月2日水曜日

うれしい知らせ

                              
 私がお付き合いをいただいている先輩のなかでは、たぶんTさんが一番年上だ。93歳になる。老人施設で暮らしている。

 Tさんも私も加わっている団体がある。そのメンバーの一人、Kさんから手紙をもらった。私が古巣のいわき民報に連載している「夕刊発磐城蘭土紀行」を、1週間分まとめてTさんに送っている、という。Tさんは「いつも喜んで読んでいます」とあった。

 Tさんはときどき、同世代の友達が運転する車でわが家へやって来た。カミサンと茶飲み話を楽しんだ。友達が車の運転をやめると、足が遠のいた。元気な知らせがうれしかった。

「夕刊発――」にからんで、もうひとつ。先日、いわき市好間町出身の詩人猪狩満直と北海道、そこで生まれた次男洋さんのその後の話を書いた。

 洋さんは戦後上京し、町工場で働き、起業した。今は息子さんたちが後を継いでいる。友人に元旋盤工で作家の小関智弘さんがいる。若いときに小関さんのルポルタージュ作品『春は鉄までが匂った』を読んだ。そのことも併せて「夕刊発――」で紹介した。

小名浜の妹さんから新聞のコピーが届いたのだろう。洋さんから手紙が来た。小関さんが「金属」という雑誌の<町工場瓦版>に書いた「農民詩人猪狩満直」のコピーが同封されていた=写真。これもうれしい知らせだった。いわきの文学を研究するうえで貴重な文献になる。

ページの隅に「1987年3月号」と印刷されている。ネットで情報を集める。技術と産業を結ぶ総合材料誌をめざしている――とあった。バックナンバーの目次を見ると、小関さんは「町工場瓦版」というタイトルでコラムを連載していた。1994年12月号が最終回で、タイトルは「十二年間」。それから推し量ると、「町工場瓦版」を12年間書き続けたか。

コラムでは、『猪狩満直全集』(猪狩満直全集刊行委員会、1986年)を紹介している。吉野せいの『洟をたらした神』を初めて読んだときの印象から文章が始まる。満直が、北海道の開拓に挫折して帰郷し、盟友の吉野義也(三野混沌)・せい夫妻の小屋を訪ねたときの描写が深く心に残っていたという。

のこぎりの目立てのことだった。吉野家にあったのこぎりを見て、満直がいう。「何だい。これで何が切れる!」。混沌が答える。「ああ、息だけが切れんな」

そのあと満直はヤスリを手にノコの目立てをする。「時間をかけて目立てをおえると、片目をつぶって刃揃えの線を眺め、指先でチョンチョンとはじいて刃並みの響音に耳をすませ」た。雑誌「金属」にふさわしいエピソードだ。

後半は、洋さんから『猪狩満直全集』が贈られてきたこと、全集が生まれる経緯、自分の父親が戦中・戦後のいっとき、帯鋸の目立てを生業としていたことなどがつづられる。

「農民詩人猪狩満直の子が、どのような戦中戦後を歩んで、いま町工場を営んでいるのかは、まだ聞いていない」という文章でコラムは終わる。洋さんはその後、小関さんと長く付き合うようになる。コロナが収まったら会おう――先だっても、そんな話をしたばかりだという。

『洟をたらした神』の注釈づくりをしている。のこぎりの目立ての話は、満直をテーマにした「かなしいやつ」に出てくる。いい資料をいただいた。

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