カミサンのアッシー君を務めた。友達の家へ行くと、「終活ブームへの違和感」をテーマに、いわき市が発行し、若い人たちがつくっている「紙のいごく 10」をもらった。「シニアポートレート2020」に友達夫妻が載っている=写真。プロのカメラマンの平間至さんが撮影した。
平間さんの名前は作家角田光代さんの文章とともに知った。確か月刊の「文藝春秋」に載った大手不動産会社のコマーシャルだった。タイトルは「ささやかさ」。
「差し出されたお茶とか、/てのひらとか。/毎朝用意されていたお弁当とか、うつくしい切手の貼られた葉書とか。/それから、歩道に咲くちいさな赤い/花とか、あなたの笑顔とか。/私たちは日々、だれかから、/感謝の言葉も見返りも期待されない/何かを受け取って過ごしている。/あまりにもあたりまえすぎて、/そこにあることに、ときに/気づきもしないということの、/贅沢を思う。幸福を思う。」
私は作家のこの行分け散文、いや詩と、それに添えられた街角の花壇を手入れする、地下足袋を履いた職人の写真に引かれて、平間さんの名前を覚えたのだった。
カミサンの友達のダンナさんとは、共通の友達である画家(峰丘)の個展のオープニングパーティーでよく一緒になった。シニアポートレートそのままに、いつもパナマ帽をかぶり、背広にネクタイ姿で現れた。
シニアポートレートには、奥さんとのカップル写真と単独写真が載っている。帽子も背広もシャツもネクタイも違う。いかにもダンディーなダンナさんらしい選択だ。だれかの、なにかの「ハレの日」にはそうして祝意をあらわすのだろう。
ダンナさんは自動車鈑金の工場を経営している。私が若いころは、木造の工場の大看板に目が吸い寄せられたものだ。建物は交差点の角地にある。その角の中央でマリリン・モンローがほほえんでいた。衝撃的な看板だった。
その後、奥さんがカミサンの同級生だと知り、さらにいわきの美術家たちとつきあうなかでダンナさんと知り合い、いろいろ込み入った話もするようになった。
ダンナさんから、新聞記者が主役のアメリカ映画(ビデオ)をもらったこともある(どうも年のせいでタイトルが思い出せない)。
さて――。その夜、カミサンの友達から電話がかかってきた。カミサンが訪ねたときには姿が見えなかった。「どこへ行ったかわからない」と息子さんが言っていたという。実際は2階で野鳥を観察していたそうだ。体の色はくすんだグリーンとオレンジ、スズメよりは大きい――カミサンとのやりとりから、外国産の籠抜け鳥も含めてどんな鳥か推測したが、ちょっと見当がつかない。
鳥の話にも興味があるが、今はシニアポートレートだ。息子さんの奥さんが夫妻に代わって応募したという。ダンナさんの「ギョロ目」には力がこもっている。アメリカの映画と音楽を愛してきた人らしい雰囲気が出ている。「遺影」にも使える。それを本人に言えば、「イエー!」と応じるにちがいない。
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