2021年6月28日月曜日

いわきの「折々の歌」

                                              いわき地域学會の仲間の中山雅弘さんがいわき民報に毎週金曜日、「いわき諷詠」を連載している。短歌なら1首、俳句なら1句を取り上げ、180字内で解説を加えている。

 先行例としては朝日新聞に毎日、大岡信さん(故人)が連載した「折々のうた」がある。いわき市三和町の作家草野比佐男さん(故人)が日本農業新聞に連載した「くらしの花實」も、形式としては同じだろう。前に拙ブログで「くらしの花實」を紹介した。以下の3段落はそのときの抜粋。

――「折々のうた」は昭和54(1979)年に始まり、平成19(2007)年に終わった。途中、2年なり1年なり休載しながらも、27年間で連載回数は6762回に達した。

「くらしの花實」は草野さんの死をもって終わるまで毎日、9年間続き、2869回で<完>となった。平成17(2005)年9月22日没。2864回目に「お断り」が載った。「選者の草野比佐男さんが亡くなりましたが、今月中は遺稿を掲載します」

「短評」の舞台が日本農業新聞であり、自身農民だったこともあって、草野さんは農業短歌・俳句・詩を多く取り上げた。大須賀乙字や井上靖、俵万智のほかに、寒川猫持、詩人の辻征夫の作品にまで目を通している。その渉猟ぶりにはうなるしかなかった――

「いわき諷詠」で先日、江戸時代後期、磐城平の専称寺で修行し、福島・信夫山の大円寺住職を務めたあと、江戸で俳僧として活躍した一具庵一具(1781~1853年)の「小城下や桔梗(ききょう)ばかりを賣歩行(うりあるく)」が紹介された=写真。数字を見ると139回目だった。

 中山さんは、専門は考古と歴史だ。が、根っこには文学がある。その根っこの部分で「いわき諷詠」が始まり、生業(なりわい)を通して得た具体的な知見も踏まえて解説を試みている。一具の桔梗の句も、着眼点が私とは違う。

「『岩城泉という町場にて』の前書きがある。静かな城下町に桔梗売りの声だけが聞こえている。印象鮮明な佳句だ。泉は本多二万石の小さな城下町。陣屋の東方に南北六百メートルほどの町場があった」

 私には、陣屋の東方にある南北約600メートルの町場が見えてなかった。せいぜい東西にのびる磐城平の城下町を連想するだけだった

 次の週も一具だった。「節にきる松魚(かつお)や蠅のむれる中」。この解説にも納得した。「『岩城小名浜』の前書がある。夏の日、蠅がわんわんと群れる中、鰹節の製造が今まさに盛りである。(略)鰹節製造は江戸時代の磐城七浜を代表する産物で、その多くは江戸に出荷されいわき地方の経済を支えた」。なるほど。

 私も一具には興味がある。地域学會が発足すると間もなく、夏井川下流域をエリアに最初の総合調査が行われた。代表幹事の里見庫男さん(故人)から、一具を調べてまとめるようにいわれた。一具って何、いや誰? そんなレベルだったが、先輩たちの力を借りて、なんとか一具の人と作品に切り込んでいくことができた。

 小城下・泉の桔梗売りに関していえば、歩く人間とか時間帯が気になりだした。切り花ならば、できるだけ太陽にはさらしたくないはずだ。売り歩くのは朝か夕方か。あるいは花ではなく、食料や生薬としての根を売り歩いたかと、次々に想像がふくらむ。それもまた、いわきの「折々の歌」を読む楽しみのひとつではある。

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