2021年6月18日金曜日

それぞれの“菌活”

                     
 近所の床屋さんへ行ったら、月曜だけでなく火曜も定休日だった。火曜日朝、ポカッと時間が空いたが、在宅ワークに戻る気にはなれない。石森山(平)へ行って、遊歩道を散歩するか

春の花はとっくに終わったが、梅雨を前にキノコを見かけるようになった。キノコを撮る。東日本大震災と原発事故後、習慣になった菌活だ。いちおう家に戻ってカミサンに断ってから出かけた。

 いつもの遊歩道に入ると、中年カップルがいた。私は首からカメラをぶら下げている。向こうの男性も小さなカメラを手にしている。あいさつしてすれ違った。

 こちらの目的は1週間ほど前に撮ったアラゲキクラゲがどうなっているか、新しいキノコが生えていないか、の2点。

 道端の折損木にウスヒラタケに似たキノコが生えていた=写真。傘の裏はひだでもなく管孔でもない。白くてツルンとしている。たぶん管孔だろうが、老眼には細密すぎてわからない。あとで『日本のきのこ』(山と渓谷社)に当たったものの、名前はわからなかった。

 アラゲキクラゲは立ち枯れと倒木に発生した。立ち枯れの方は1週間前とほとんど変わっていなかった。倒木の方は、私が一部採取したこともあるが、あまり目立たなくなっていた。それで、その日の菌活は終わりだ。

 遊歩道を戻ると、先にすれ違ったカップルも同じように戻ってきた。こうなると、森に入った目的が気になる。「粘菌」だった。粘菌はアメーバ様の生きものだが、キノコと同様、胞子を飛ばして繁殖する。大きくみれば彼もまた“菌活”だった。

 粘菌だけではない、植物や鳥や虫にも興味があるという。その点は、私も同じ。「サンコウチョウが鳴いてました」と彼。「今、『ホイホイホイ』って鳴いてますよ」と私。

 そのあとに驚きが待っていた。「もしかして吉田さんですか」「そうです」。私のブログを読んだという。ただし、自然のことではなく、中神谷の夏井川そばにある「調練場」という地名の話になった。なぜそういう地名があるのか気になっていたそうだ。そのブログを抜粋する。

――笠間藩神谷陣屋は今の平六小のところにあった。しかし、最初は字苅萱地内(わが家の裏手)に設けられた。

 志賀伝吉著『神谷村誌』に、字名の付いた中神谷村の略図が載る。一番南に夏井川が蛇行している。川の中に「川中島(御仕置場)」とある。首切り場だ。さらに、その下流左岸には「調練場」。左カーブの広い河川敷になっている。調練場の内陸側に、「大年(おおどし)」「天神」をはさんで「苅萱(大門口)」がある。

江戸時代後期、浜街道に沿って陣屋があり、陣屋の裏手の先に藩士の兵式訓練を行うための河川敷が広がっていた。で、調練場という字名がついた。

 苅萱に陣屋がおかれたのは延享4(1747)年。ところが、夏井川に近いため、ときどき水害に見舞われた。そこで文政6年(1823)、小川江筋沿いの山際に移転し、明治維新を迎える――。

こうなると、ますます相手を知りたくなる。平・十五町目で工房兼ショップを開きながら、レッドリスト調査などに従事しているナチュラリストだった。共通の知人Mさん(磐城平藩の医師の子孫)の話になった。調練場のことは、Mさんから教えられたのだろうか。

撮影した粘菌を見せてもらった。「きれいですね!」。思わず感嘆の声を上げる。同じ遊歩道を行ったり来たりしているのに、見ている世界が違っていた。

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