日曜日の宵にA君から電話がかかってきた。「若い女性2人を連れて行くけど、いいか」。来る者は拒まず、だ。ちょうどカツオの刺し身を肴に晩酌をしているときだった。いつもなら刺し身が余るのだが、若い女性が食べてくれたおかげで、久しぶりに皿が空っぽになった。
若い女性とは初対面だった。1人はA君が経営する古書店で働いている。もう1人はその友達だ。
友達は、美術と演劇を融合させたようなあるイベントにかかわっていた。SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)のツイッターやフェイスブックではときどき名前が出てくるので、こんなアーティストがいるんだ――という認識はあった。それが目の前にいる。若い知り合いの名前をあげると、すべて知っていた。知っているどころか、熱い交流をしているようだった。
宮城県出身のA君は私の息子たちとほぼ同世代だ。そのA君も、彼女たちから見たら親世代に近い。
A君と知り合ったのは、彼が大学生のとき。運転免許を取るために平で合宿をした。あてもなく通りを歩いているうちに、米屋に民具が飾ってあるのを見て入ってきた。そこがわが家だった。卒業後、茨城県からいわきに移って根を張り、ネット古書店を始め、今では平の本町通りにリアル古書店も開いている。
突風のような、予期せぬ老・壮・青の集まりだった。若い世代の考えや感覚がわかっておもしろかった。
実はA君が来たら、聞いておきたいことがあった。A君は今、夕刊のいわき民報で土曜日の「くらし随筆」を担当している。先日は昭和30年代から平成にかけての常磐交通バスの時刻表が入荷した話を書いていた=写真。
「地方バスの時刻表は、その地方でしか流通していないため、まず発行部数が少ない。また、小冊子かパンフ状であるため、ダイヤ改正により、古いものは捨てられてしまうことが多い」「近年、バスマニアが増えているらしく、時刻表を含め、バスの古書やグッズの相場が上がっている」
そのバス時刻表で確かめたいことがあった。昔は夏井川渓谷を路線バスが走っていた。山あいの三和町上三坂発着でも複数のバス路線があった。まずはこのあたりの路線バスの盛衰を知りたい。
さらには、吉野せいが短編「水石山」で描いた昭和30年代初頭の地域の様子を知るためにも、平~好間、および好間の先、上三坂までのバス時刻表を見てみたい。
好間・菊竹山の自宅から“プチ家出”をしたせいは、鬼越峠の切り通しを越えて内郷へ出る。新川の堤防を歩いたが、だんだん気持ちがへこんでいく。「どの山もどの道もどの家も結局は無縁の空しさしかない」と感じて、「町へ出て、魚屋の店でいきのいいサンマを買ってバスにも乗らずに」帰宅する。
「バスにも乘らずに」というところに、せいの心情が表れている。そのすぐあとの文章にこうある。「疲れてはいたが人に顔を合わせずに歩くことの方が心が乱れなかった」
昭和30年代の時刻表は「水石山」の注釈づくりに役立つはず。そう思っているのだが、若い女性たちとおしゃべりしているうちに、すっかり忘れてしまった。誰かに買われてしまう前に一度時刻表を見てみたいものだが、さてどうなるか。
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