2021年6月15日火曜日

日曜日の朝、川前・鬼ケ城へ

        
 先の日曜日(6月6日)、たまたま街で旧知の若いカメラマンと会って、夏鳥のカッコウの話をした。「平の夏井川ではもう何年も鳴き声を聞いてない。いわき市だと、どこへ行ったら聞こえるのかな」

3日後、市内を「いろいろ回って探したところ、鬼ケ城で鳴き声を確認しました」というメッセージが入った。

現役時代、野鳥の会いわき支部の会報を読んで、子どものころの彼と探鳥会に関するエピソードをコラムに書いたことがある。高校生になっていた彼が職場に連絡をしてきたので、会って話した。それ以来の付き合いだ。いやあ、すまない。が、ありがたい。

夏井川渓谷に隠居がある。平のわが家からは車で30分だ。隠居から「いわきの里鬼ケ城」へもざっと30分。日曜日(6月13日)朝、隠居で土いじりをする前に、鬼ケ城へ車を走らせた。

前にも書いたことだが、車で30分圏内であれば、あれこれ考える前に着く。距離も時間も苦にならない。が、1時間となれば出かけるのに“覚悟”がいる。行くとしてもせいぜい半年、あるいは1年にいっぺんくらいだろうか。

実際には、鬼ケ城を訪ねたのは6年前、その前はやはり5年前だった。1年どころか5年サイクルだった。

鬼ケ城は鬼ケ城山(887メートル)の中腹にある。広大な敷地内にキャンプ場、コテージ、レストハウス、グラウンド、山里生活体験館などが配置されている。なにより高原の澄んだ空気がおいしい。

9時前、鬼ケ城に着いた。前日、郡山市からやって来て泊まったという若い家族連れがキャンプ場=写真=にいた。さっそくカッコウの鳴き声の有無を尋ねる。「聞きました、夜明けに」。そうだった、忘れていた。高原では夜明け前1時間、鳥たちが大コーラスを繰り広げるのだった。

美空ひばりさんが亡くなった平成元(1989)年6月24日――。鬼ケ城で「どうすっぺ、いわき」フォーラムが開かれた。いわき市内の青年会議所やいわき地域学會などから数十人が参加した。飲んで議論しているうちに夜が明けた。そのときの拙文が残っている(要旨)。

――夜来の雨が霧雨に変わり、うっすらと空が白み始めたころ、バンガローの近くでヨタカが鳴いた。すると間もなく遠くでホトトギスがさえずり、シジュウカラやハシブトガラス、ヒヨドリ、ウグイスも歌い出した。合間にツツドリの「ポポッ、ポポッ」が入る。

夜が明けきると再び静けさが戻り、ヒバリが頭上に現れて、ひばりさんの死を伝えるニュースを思い出したのだった。舌頭に港町十三番地ひばり逝く――。

いわき地域学會図書16『あぶくま紀行』(1994年)に、やはりフォーラムに参加したKさんが書いている。ぐっすりと眠ってしまった翌朝、「『ホーホケキョ』と鳴く、うぐいすの声で目が覚めた。寝ぼけまなこで耳をよくすましてみたら、それはメンバーの中のYさんとEさんが酔っぱらって、林の中を『ホーホケキョ』と走りまわっている姿だった」

それから30年余。1人は若いうちにこの世を去り、1人は今も生きている。「朝4時に起きて来なくちゃ」。カミサンの声に沈黙したのは、夜通し飲んで未明にウグイスに変身してしまった記憶がよみがえったからかもしれない。

0 件のコメント: