2021年9月23日木曜日

渡辺町の大沢隧道

                     
 夜は、あした何をするか、メモをして寝る。手帳に予定が書いてある。アッシー君の行く先を言われることもある。

 3連休明けの火曜日(9月21日)は、予定がなかった。手帳も真っ白、アッシー君も言われていない。朝から晴れていた。日・月曜と晴天で、メモしたことは全部やった。火曜日も晴れとなれば、これはもう「おまけ」だ。

 渡辺町の田園風景を撮りに行かねば。ついでに「大沢隧道」をくぐってこよう――。10時前に思い立って家を出た。

 わが家から国道6号(旧バイパス)経由で40分ほどだろうか。泉駅前から跨線橋を渡って田園地帯に入る。渡辺小学校を過ぎて県道釜戸小名浜線に折れたあと、稲刈りの始まった田んぼを前景に、釜戸川沿いの屋敷林と背後の丘陵を撮った。

 そのあとは、丘陵のふもとをくりぬいてつくられた「大沢隧道」の“探検”だ。丘陵の反対側に隧道開鑿の記念碑がある。それも写真に撮る。

 昭和52(1977)年に発行された『渡辺町史』(同町史編さん委員会編)に大沢隧道の記念碑が紹介されている。工事の端緒がおもしろい。「本道路の開鑿は、明治19年高木直枝翁が自費を投じて山頂に道を開きたるに始まる」。そういう1行から碑文が始まる。

 この高木直枝の弟に、台湾で「医学衛生の父」と呼ばれた友枝がいる。その友枝が昭和14(1939)年の碑文建立に関係していた。「従三位勲二等医学博士高木友枝閣下書」とある。

 友枝は医学者。ペスト菌を発見した北里柴三郎の一番弟子で、師の指示で日本が統治していた台湾に渡り、伝染病の調査や防疫など公衆衛生に尽力した。総督府医院長兼医学校長、総督府研究所長などを務めたほか、明石元二郎総督時代には台湾電力会社の創立にかかわり、社長に就いた。

 ま、それはさておき、この隧道は歴史的な土木遺産といってもいい。開鑿したあとが生々しいかたちで残っている=写真。碑文によれば、長さは100メートル。私にはそこまでの感覚はなかったが、壁面の凹凸から内視鏡で検査したときの大腸壁を連想した。

 文字起こしされた碑文によれば、隧道は渡辺町松小屋にある。丘陵の陰の大沢と結ぶ。大沢には共有林がある。その開発のためには隧道に頼らざるを得ない。

 もう12年前になる。同級生たちと北欧を旅行した。スウェーデンの地下の駅だか、道路のトンネルだかを通ったとき、壁面が凹凸の岩盤だったことに驚いた。

北欧は巨大な一枚岩の上に薄く堆積した土壌を利用して人間の暮らしが営まれている。岩盤に守られながら、岩盤に阻害されている。そのためにダイナマイトが発明されたという。真偽はともかく、話としてはおもしろい。

大沢隧道ではどうだったのか。「青の洞門」のようにコツコツとやったのだろうか。この歴史的な土木遺産の経緯、工法などを調査したレポートがあれば読みたいものだ。

2 件のコメント:

木村 さんのコメント...

私の実家の近くです。昔学校帰りに友達の家がありよく立ち寄ったものです。
懐かしい名前が出てきました。私も一年前に実家の帰り、そのトンネルを通って
帰ってきました。あの雰囲気がとてもこの歳になるといいなあ~~と感じました。

タカじい さんのコメント...

おもしろいですね、このトンネル。