2021年9月29日水曜日

渓谷のチョウたち

                            
   草野心平に「魚だって人間なんだ」という短い詩がある。「たらふくエサをやればいいといふもんぢゃあない。/二日も三日もエサをやらないのもいけない。/向うの身になって。/向うの食欲を考へること。/たまにはキャベツやコーンフリーもいい。向うの好き嫌ひも考へること。/魚だって人間なんだ。」

 相手の身になって考えること、それが人間だけでなく、いきもの全般、いや鉱物にも及ぶところに心平の詩の特質がある。

文芸評論家で、いわき市立草野心平記念文学館名誉館長の粟津則雄さんは、それを「対象との共生感」と呼ぶ。

人間の命も、ほかの命も等価。力の強弱、体の大小を超えて、全身で相手と向き合う。そこに豊かな共生感が生まれる。

 日曜日に夏井川渓谷の隠居で過ごすようになって四半世紀。最初はまちに住む人間の気分転換の場(機会)くらいにしか考えていなかったが、絶えず小さな生きものたちと接しているうちに、「対象との共生感」が芽生えてきた。

 そこに住んでいる人間を含めて、動植物のすべてが太陽や風や雨と関係し、影響しあって渓谷の環境をかたちづくっている。私はたまたま、日曜日だけそこに加わる。スズメバチやマムシには緊張するが、チョウやトンボには慰められる。それこそ危険な生きものも含めて、みんな同じ共同体の一員――という考えに変わった。

 名前の知らない生きものが多い。写真に撮ったものは、データを参考にして調べる。その積み重ねが渓谷の「生物記」になる。

 9月後半は2週続けて庭の草引きをした。前の週は、その草の中にクロコノマチョウの幼虫がいっぱいいた。1週間後、今度は幼虫のひとつが蛹になっていた=写真上1。大きさは約2センチ。緑色で、成虫のかたちが透き通って見えるようだ。

成虫は、翅が樹皮の色をしていて地味だが、緑色の幼虫は黒く縁取りされた顔がおもしろい。なぜチョウやガは生まれて死ぬまで、このように大きく変化し、姿を変え続けるのだろう。

 隠居へ舞い込んできたチョウにも、カメラを向ける。連写モードで飛んでいるところを1枚=写真上2。これはウラギンシジミらしい。長押(なげし)の上の飾りに止まったのはルリタテハ=写真下。どちらも撮影データから検索してわかった。

 クロコノマチョウも、ウラギンシジミも、ルリタテハも、隠居の隣人。風呂場の軒下にソフトボール大の巣をつくった厄介な同居人、キイロスズメバチはその後、どういうわけか姿を消した。巣がサッカーボール大にまでなっていたら、今の時期が一番怖い。刺される恐れがなくなっただけ、安心して土いじりができる。

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