いつもは「彼岸の中日」前後の日曜日に墓参りをする。今年(2021年)の秋分の日は木曜日だ。9月19日の日曜日では早すぎる。26日の日曜日では遅すぎる。結局、木曜日にカミサンの実家の墓参りをした。
墓は好間町下好間字大舘の長興寺にある。いわき駅裏の物見ケ岡から西の下好間へと丘陵が続く。その丘に寺が密集する。平分は「大館」、好間分は「大舘」。地名の漢字の違いはともかく、一帯は「寺町」だ。
表の参道ではなく、裏の山道を利用すれば、ほかの寺の墓へも行ける。それはしかし若いときの話で、今はそれぞれの寺の駐車場に車を止めて墓参りをする。
「最初に大宝寺へ行こう」。こちらは平・大館分だ。アッシー君としては黙って従うしかない。生前、親しくしていた老彫刻家がいる。その墓に焼香したあと、近くに眠る磐城平藩士の家々の墓を巡る。
それで急に思い立った。墓参りだけでなく、墓巡りをしよう。同じ磐城平藩士で明治の歌人・天田愚庵の家の墓もある。こちらはやや離れたところから見て黙礼する。
カミサンの実家では菩提寺の墓のほかに、この寺にも墓がある。なぜお参りする墓が2カ所なのかはわからない。こちらは戊辰戦争のころ、亡くなったのだとか。
そうこうしているうちに、どこかで見たことのある少年が小走りにこちらへ向かってくる。下の孫だった。親と一緒に墓参りに来て、駐車場で私の車を見つけたのだろう。
父親、つまり長男に、実家とはどういう関係の墓なのか聞かれたが、カミサンもよく分からない。
今回はたまたま墓参りと墓巡りをしているうちに、孫と一緒に先祖に関係する墓の前に立つことができた=写真。それはそれでいい思い出になった。
孫たちと別れたあとは別の寺へ移動し、好間出身の詩人が眠る墓や、知人の先祖の墓の前に立って黙礼した。いろいろ調べものをしているときに、どちらも出てくる。「これからもよろしくお願いします」。神頼み、いや仏頼みだ。
結局、カミサンの実家の墓にたどり着いたのは、最初の寺を訪ねてから小一時間あとだった。そこでもカミサンの親戚に会い、私も知人と会った。
彼岸の中日に墓参りをするということは、あちらへ渡って仏になった肉親に会うだけでなく、こちらで生きている人にも会うことなのだと了解した。
それからカミサンの実家へ行き、店番をしている義妹と3人で雑談する。どこの墓へ入るか、という話になった。これも一種の「終活」だ。
私は山寺に「ついのすみか」がある。そこで眠るつもりでいる。が、残された者は車がないと行けない。
どこの墓に入るにしても、次の世代には経済的な負担をかけられない、今から準備をしておかねば――という点では一致した。
それと、これは単なる老化なのだが、駐車場に車を止めて山門をくぐり、本堂の前を通って墓に行くだけでも、石段がこたえるようになった。墓はそこにあるのに遠い。墓に入る話の前にきつい現実が待っていた。
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