2021年9月8日水曜日

虹の生まれる瞬間

        
 日曜日(9月5日)にいわき市長選の投開票が行われた。地元投票所の立会人を務めたので、カツオの刺し身は翌日回しにした。

 月曜日の夕方、いつもの魚屋(平・草野)に向かうと――。国道6号の先、ちょうど道路から虹が伸び始めるところだった。店主がカツオをさばいている間、店の前で虹を見る。1分。2分。3分もたつと、左から右へと大きな虹の架け橋ができた=写真。虹の成長の速さもそうだが、その大きさに目を見張った。

 国道の交通量は多い。南下(正確には南西下)する車は前方右手に太陽が見える。北上(北東上)する車は虹の根っこに向かって進んでいく。太陽と虹と人間はそんな位置関係だ。

 単なる自然現象といったら身もふたもない。巨大地震や津波、台風、土石流といった破壊的な自然現象がある。一方で、人間を引きつけてやまない現象もある。瞬間的に現れては消える虹や朝焼け・夕焼け、そして四季折々の変化などだ。

 だからこそ、その瞬間に遭遇した人間は感動を胸に刻む。絵や写真にし、文字にして残す。月曜日夕方の虹も、歩道のあちこちで人がスマホをカシャッとやり、動画に撮っていた。カミサンも私のデジカメで撮り続けた。

「夕焼けがすごい」。この7~8月、店を閉めるときにカミサンが何度か叫んで私を呼んだ。みずからデジカメを手にして撮影することもあった。そんな夕焼けの写真データが、7月は4日分、8月は3日分も残っている。雲が多いのに夕方には晴れる、という日が少なくなかったようだ。

霜山徳爾(とくじ)訳のV・E・フランクル『夜と霧』(みすず書房、2000年新装判)に出てくる夕焼けもすごかったのだろう。胸騒ぎがするような夕焼けに出合うと、いつもそのことを思い出す。自然は絶望に沈んでいる人間にも希望の光をもたらす。

 ナチスドイツによって強制収容所に入れられたユダヤ人が、労働に疲れてバラックの土間に横たわっていると、仲間の1人がみんなを外へ呼び出した。

「われわれはそれから外で、西方の暗く燃え上がる雲を眺め、また幻想的な形と青銅色から真紅の色までのこの世ならぬ色彩とをもった様々な変化をする雲を見た。(中略)感動の沈黙が数分続いた後に、誰かが他の人に『世界ってどうしてこんなに綺麗なんだろう』と尋ねる声が聞こえた」

 新型コロナウイルス感染問題では、専門家が「野戦病院が必要」というところまで医療が逼迫(ひっぱく)している。鉄砲玉の代わりにウイルスが飛び交っている――そんな非常状態を「戦争」とみなしてもおかしくないほど人間は追い詰められている、ということなのだろうか。

虹の話に戻る。フランクルの夕焼けにも匹敵する、コロナ禍の虹の誕生だ。西日からのプレゼントだ。湿った空気が漂うなかで出現した天空のアートをつま、前日の投票立会人の仕事を振り返りながら、一日遅れのカツ刺しをゆっくり味わった。

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