見本の絹糸に触れて仰天した。クモの糸のように細い。なのに、強い。日本産種の蚕(かいこ)「小石丸」の繭から挽(ひ)いたという。
タテ糸を小石丸の極細糸、ヨコ糸を福島県産座繰り糸で織った作品が、個展の案内はがきに載っていた=写真。透き通るような琉球藍染めの色合いが印刷物からもわかる。
泉ケ丘のギャラリーいわきで、奈良県生駒市在住の染織家寺川真弓さんの個展が開かれた。最終日の日曜日(8月29日)、カミサンのアッシー君を務めた。カミサンの知人が個展を見て電話をかけてきた。夕刊(いわき民報)の記事にも刺激されたらしい。
案内はがきの作者略歴と新聞記事から、寺川さんは今まで誰もやったことのないような領域で仕事をしていることがわかった。
大学在学中に着物を織り始め、卒業後は服地や着物のデザイン会社に就職した。しかし、大量生産・大量消費に疑問を持ち、染織作家として独立する。東日本大震災後は繭から糸を挽くことも始めた。さらに、生駒山麓に転居し、桑を栽培して小石丸を育てている。
原発事故という「文明の災禍」(哲学者内山節さん)を経験して、自分を見つめ直し、分業システムの対極にある手仕事の意義と倫理を再確認したのだろう。
桑を植えて栽培する。小石丸を卵から育てて桑の生葉を与える。繭ができると糸を挽く。みずから栽培したり、採ったりした草木で染める。織る――。
どれをとっても技と根気がいるのに、すべてをこなす。養蚕農家でもあり、染織工芸家でもあるという生き方、そして極細糸の強靭さにカルチャーショックを受けた。
小石丸の白い繭が飾られていた。落花生のような形をしている。美智子さまと小石丸の関係をつづった『皇后陛下古希記念 皇后さまの御親蚕』(扶桑社)で知ったのだが、小石丸は一般産種の繭の半分もない。糸の長さも、一般産種が約1500メートルなのに、小石丸は3分の1の約500メートルしかとれない。非効率きわまりない。しかし、だからこそそこにやりがいが生まれるのだろう。
展示作品にギシギシを染料にしたものがあった。ギシギシは方言で「ウマスカンポ」などといわれる。堤防などに生えている。畑の厄介者でもある。われわれにもなじみの雑草だが、それが草木染めの原料になる。ウマスカンポに対する見方が少し変わった。
カミサンとあれこれ話しているのを聞くともなく聞く。桑の葉は乾燥して煎じて飲むことができる。夏井川渓谷の隠居の土手に桑の木が1本ある。カミサンは来年(2022年)、その葉をなんとかする気になったらしい。高血圧に効くのだという。
ミョウバンも媒染に使う。染物の世界では常識なのだろう。飛び入りで話に加わる。「(発色をよくする)ナス漬けと同じですね」。寺川さんがびっくりしたように、「そう」とうなずいた。
自然と向き合う手仕事の最前線にいるからこそ、かもしれない。時代や社会に対する、そのときそのときの思いも文字化されて作品に添えられていた。寺川さんの胸の内が透けて見えるようだった。
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