今年(2021年)の冬至は12月22日。それまで夜明けは日に日に遅く、日暮れは日に日に早くなる。
12月12日の日曜日は朝9時15分ごろ、夏井川渓谷の隠居に着いた。平地の街では背中に朝日を感じながら車を走らせた。渓谷ではちょうど対岸の尾根から、朝日が顔を出したところだった=写真。
隠居の雨戸を開けると、上20センチほどに光が当たっていた。それがだんだん下まで届くようになる。
いわき市小名浜での日の出は、13日は6時40分。渓谷でもそのころはもう空が明るくなっている。V字谷だから、朝日が昇るのが遅いだけだ。
今の時期、渓谷に太陽が現れるのは午前9時過ぎ。そして、午後3時前後にはもう尾根の陰に沈む。
ついでにいうと、夏至から冬至までは、日の出はおおよそ1日1分遅くなる。冬至から夏至まではその逆。月の出はおおよそ1日1時間遅くなる。そんなおおざっぱな感覚で太陽と月に向き合っている。
朝日は尾根から高みを目指すのかと思ったら、そうではなかった。そのまま右に、上流方向に移動する。なるほど。
こうして「現場」で見たもの、聞いたものを通して思考が鍛えられる。「実感」を手がかりに、あれこれ調べる。観念とは無縁の日常にこそ「ニュース」が埋もれている――そう考えてモノを書いてきた。
隠居の庭の隅を耕して畑をつくり、三春ネギを中心に野菜を栽培するようになって四半世紀がたつ。
前にも書いたことだが、この家庭菜園での体験・思考が、私がモノを書く「原点」になっている。
――記者は人の話を聞いて記事を書くだけ、なにか創造的なことをしているだろうか。40代で家庭菜園を始める前、自分の仕事にむなしさを感じていた。 ミラン・クンデラの小説のタイトル、「存在の耐えられない軽さ」がもやもやとした胸の内を言い表していた。
この「耐えられない軽さ」を救ってくれたのが、週末の土いじりだった。大地に二本の足で立って野菜をつくっている、という労働の「実感」がコラムを書くエネルギーになった――。
さて、師走の中旬になると、カミサンの実家(米屋)では歳暮のもちつきをする。ドラム缶を利用したかまどでもち米を蒸す。かまどの下には焚き口、上には湯釜。湯釜の上にもち米を入れた蒸篭(せいろ)を二つ重ねて、蒸気をくぐらせる。焚き口の火の番、「釜じい」が私の役目だった。
が、去年(2020年)から義弟の知り合いがバイトとして加わったため、釜じいは「お役御免」になった。
隠居から帰った夕方、電話がかかってきて、もちを引き取りに行った。帰り道、若いときからの飲み友達にもちを届けた。
夕暮れになっていた。顔を出すと手招きして庭に呼び込む。「一坪菜園」に白菜、小松菜、サニーレタス、パセリなどがあった。
面積はどうでもいい。超多忙な法曹関係者が始めた一坪菜園。これに感動して、思わずうなった。「すごい!」
わが家の庭にも一坪半くらいの空きスペース(離れの跡)がある。これを菜園にするか。そう思わせるほどのうれしいショックだった。
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