2021年12月7日火曜日

メディアと戦争

                                   
 今年(2021年)は太平洋戦争が始まって80年の節目の年。あした(12月8日)がその日だ。

6年前の平成27(2015)年8月、終戦70年の節目に次のような文章を書いた。それを抜粋する。思いは今も変わらない。

――太平洋戦争では、戦時体制が進むなかでまっさきに地域新聞がつぶされた。5紙あったいわき地方の日刊紙は1紙に統廃合され、さらに「1県1紙」政策のなかで福島民報の「磐城夕刊」に組み込まれる。

戦局が悪化すると休刊の憂き目に遭い、終戦時にはそれを伝えるいわきの活字メディアは存在しなかった。

 終戦70年の節目の8月に入るとすぐ、BSプレミアムで「玉音放送を作った男たち」が放送された。情報局総裁(国務大臣)下村宏に光を当てたドラマだった。

 いわき地域学會の8月の市民講座では、私が「昭和20年8月15日のラジオと新聞」と題して話した。

 いわき地域学會は、戦後50年と地域学會創立10周年を記念して、戦中・戦後を中心とした市民の生活記録『かぼちゃと防空ずきん』を刊行した。

玉音放送について記している28人について、年齢・性別・どこで聞いたのか・ラジオの音声の状態・受け止め方などを分析して、これも紹介した。

 ポツダム宣言受諾から玉音放送までの経緯は、半藤一利著『日本のいちばん長い日 決定版』(文春文庫)に詳しい。

2015年の8月15日、BSプレミアムで昭和42(1967)年公開の映画「日本のいちばん長い日」(岡本喜八監督)が放送された。それからほぼ50年後、同じ原作による原田真人監督の映画「日本のいちばん長い日」を見た――

同じ6年前、こんなことも書いた。原発事故報道に関してメディアは読者・視聴者から「大本営発表」という批判を受けた。

ほんとうの「大本営発表」とはどんなものだったのか。それを調べる過程で再確認したのは、メディアは戦争とともに成長してきた、ということだった。

日清・日露戦争で報道合戦を繰り広げ、部数を伸ばした。太平洋戦争がらみの「1県1紙」政策も、今あるメディアにはプラスに作用した。

 メディアを「産業」として見ると、「編集」が〈反権力〉をうたっても「経営」は〈親権力〉に傾く。太平洋戦争下のメディアは、その両方が一体となって権力に協力した。

 戦前・戦中の新聞を考えるキーワードは「言論統制」「大本営発表」「1県1紙」などだろう。

先ごろ買って読んだ里見脩『言論統制というビジネス――新聞社史から消された「戦争」』(新潮選書、2021年)=写真=は、そのへんの状況を詳細に伝える。

里見さんはいわき市小名浜出身の元時事通信記者だ。メディア研究者に転じてからは大学教授を務めた。

以前、里見さんの本『姿なき敵――プロパガンダの研究』(イプシロン出版企画、2005年)を読んで、とても勉強になった。

戦火の拡大とともにつぶされた弱小地域新聞の系譜に身を置いてきた人間としては、今でも自戒を込めてこう思う。極限状況になればなるほどメディアは権力のお先棒をかつぎ、あおり、たきつける。そのことをまた胸に刻んだ。

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