2021年12月28日火曜日

年輪の話・下

        
 冬のある日、雪に覆われた木の根元の両側に挽き手が陣取り、目立てをしたばかりの鋸(のこぎり)を当てる。「切り口からは、さながら歴史の断片のようなおがくずが芳香を放って飛び散」る。

アルド・レオポルド/新島義昭訳『野生のうたが聞こえる』の中に出てくるオーク伐採の情景だ。

レオポルドはアメリカの森林管理官・生態学者で、「環境倫理学の父」といわれる。1948年に61歳で亡くなった。同著は翌年に発刊され、200万部を超えるロングセラーになった。

著者はオークに蓄積された100年という時間に思いをはせる。「ほんの十数回挽いただけで、鋸の歯は、わが一家がこの農地を手に入れ、愛し、大切に守ってきた数年の歳月を通り過ぎ、あっという間に先住者の時代に突き当たった」

1930年代前半、禁酒法と大恐慌が重なった時代だ。先住者は酒の密造者で、畑仕事が大嫌いだったらしく、残っていた作物を収穫すると母屋に火を放って姿をくらました。土地は郡当局に没収された。

さらに鋸は木の内部へ迫る。著者の思考もまた時間をさかのぼる。オークは、「木々の愛護を目的とする、州議会の数々の立法措置――1927年の国有林法や森林資源保護法、1924年のミシシッピ川上流沿岸低地に対する大規模な保護、1921年の新森林政策――にも無関心だったようだ」。

ま、一種の擬人化で、オークの年輪にアメリカの環境保護の歴史を重ねていくわけだが、ここで向こうの100年を追いかけてもしようがない。

このくだりを読んですぐ思い出したエピソードがある。いわき地域学會が阿武隈の山里、川内村の村史編纂事業を請け負った。そのときの調査の一コマだ。

私は、山里にまで浸透した幕末の俳諧ネットワークと、川内村と草野心平のつながりを担当した=写真。

上川内の禅寺、長福寺の矢内俊晃住職の招きに応じて、心平が川内村を訪ねる。それがきっかけで村民との交流が始まる。

心平は名誉村民に推戴され、褒章として村から年100俵の木炭を贈られた。2年目からは辞退するが、お返しに寄贈蔵書3000冊のうち2000冊を帰りのトラックに載せて村へ届けた。この寄贈書を保管する仮称「心平文庫」の設置が議決される。今の「天山文庫」だ。

以下は心平との交友をつづった住職のガリ版刷り個人誌「蕭々無縫」からの引用(一部現代表記に変えた)。

あるとき、心平はまな板用に栗の木の切れ端を村の棟梁に削ってもらう。住職と一緒の帰り道、木の年輪を見て「君、こっちは北なんだね。こっちは南側だったんだね」という。「君、同じ南側でも育ち具合が違うんだね。育たなかった年は気候が悪かったんだね。この時は、この木も随分と苦労したろうね。木ばかりでなく、みんな苦労したんだね。凶作だったりして……」

アメリカの環境倫理学者と詩人に共通するのは、学識と直感に基づく生きいきとした想像力だ。文芸評論家粟津則雄さんが心平詩について語った「対象との共生感」といってもよい。

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