2021年12月26日日曜日

これも伝統郷土食

                     
 秋から冬、塩漬けのフキを山里の直売所で買う。カミサンが塩出しをして油いためにする。ところが、全く硬いままのときがある。「硬くなったのを採って漬けたから」だという。

 で、直売所にフキの油いためがあると、真っ先にカゴに入れる。手のひらに収まる程度の小パックなので、三つも四つも、となる。けっこういい値段だ。

 たぶん「団塊の世代」(昭和22~24年生まれ)には共通の「おふくろの味」なのだろう。食事を共にする1歳下の義弟も、私と好みが重なる。食卓に出たフキの油いため=写真=がたちまちなくなる。

 1けたの「つ」の年齢だった昭和30(1955)年前後、食べるものといえば、買ったものより、栽培したり、採ったりしたものが多かった(ように思う)。

 実家は床屋だが、家から離れた山際に畑があった。そこで野菜を栽培した。米はどうか。母親の実家や親戚の田植えと稲刈りを手伝った。もらうだけでは足りないから買っていたのだろうが、そのへんはよくわからない。

阿武隈高地の真ん中あたり、鎌倉岳の南東麓に母方の祖母の家があった。南の幹線道路に向かって畑と田んぼが広がる。祖母に連れられて沢へ下り、土手のフキノトウを摘んだのが最初の山菜採りの記憶だ。

 キノコ採りはたぶん、小学校の2、3年生のころが最初だった。母親と隣家のおばさんが連れ立って出かけるのについて行った。

場所は町の東方の「ミナミグラ」。ストリートビューでは、林と田畑だけの小風景が延々と続く。キノコ採りには入りやすかったのだろう。記憶にある林内の斜面もゆるやかだった。

そのとき、母親たちがどんなキノコを採ったのかは覚えていない。ただ、キノコは斜面の下から攻める、それを実地に学んだ。

フキの話に戻る。フキノトウを知った何年かあと、集団でフキを採った記憶がある。秋にイナゴ捕りや落ち穂拾いをした記憶もある。学校行事だったかどうかはあいまいなのだが、絶えず自然の中で遊ぶ、自然の恵みをちょうだいする、そんな暮らしの中に身を置いていた。

『いわき市伝統郷土食調査報告書』(いわき市、1995年)をパラパラやって、フキに関する記述を確かめた。軟らかくする方法は書いてない。

調理法として、ゆでて皮をむき(その逆も可)、4~5センチの長さに切って煮物に入れたり、油いためにしたり、ニシンと煮つけたりする。

食べきれないほど採ったときには、ゆでて塩漬けにしておく。盆、正月など人寄せのときなどに使う。一晩くらい塩出しをして煮物や油いためにする、とあるだけだ。

昔は6月ごろに田植えが行われた。山菜はワラビやゼンマイを採り終え、タケノコが出回る。フキとタケノコを煮つけて田植えのごちそうにした。

カツオが獲れる初夏には、タマネギ、ヤマブキを加えた粗汁もある。カツオとフキの煮つけもある。報告書が紹介している、いわきのハマらしい食べ方だ。

硬くなったフキだから硬いままなのかどうか。三和のフキの油いためを口にするたびに、なにか軟らかくする秘訣があるのではないか、と思ってしまう。

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