いわき市立美術館で、企画展「サーリネンとフィンランドの美しい建築」とは別に、ニューアートシーン・イン・いわき「西成田洋子 記憶の森」展が開かれている=写真(解説シートから)。西成田は水戸市生まれの美術家だ。
1階ロビーが会場なので、無料で観覧できる。入館するとすぐ、奇妙な形と色をした等身大のオブジェが待っている。どこかで見たことのあるなにかと形が重なり、作品を構成しているモノから距離を置きたいのにまとわりつくような感覚が広がる。
平野明彦同館特任学芸員の解説によると、オブジェに用いられているのは、カーテン、こたつ布団、段ボール、新聞紙、ゴムホース、電線コード、靴、だるまの置物、使い古したセーター、ズボン、ブラウス、ジャンパー、チョッキ、下着など、身近な生活用品や雑貨類だ。これらを手作業で結びつけ、からませるなどして等身大の作品に仕上げる。
私は瞬間的に「ジャンクアート」(廃材芸術)という言葉を思い出したが、平野特任学芸員は「記憶」をキーワードに、それとは別の解釈を試みる。
「表皮を剝ぎ取られ、曝け出された臓器が等身大の人型となって立ち上がるグロテスクな物体の数々」。これが作品だが、それらは「無意識下のなか、身体の深奥部に刻まれた西成田自身の生命(生存)に関わる情動とカオスの記憶から導かれた」。
その象徴は「異界とこの世界を結ぶ生殖という原初の力を秘めた巨大な空洞を有する」ものだという。それを作家は「剛直にもこの世界に曝け出した」。
自分の内臓がさらされたような、なんともいいようのない印象を引きずっていたら――。若い知り合いが息子とやって来た。息子は「ゴジラ」の図鑑を手にしていた。それを借りてパラパラやると、西成田作品を連想させる怪獣がいた。
「これだ、これに似たのが、今、美術館にいるよ」。映画「ゴジラ対ヘドラ」(1971年)に出てくるヘドラだ。
図鑑には「水中生息期」「上陸期」「飛行期」「巨大化期」とある。ウィキペディアによれば、1970年代に社会問題となっていた公害をモチーフにした怪獣で、ヘドロのかたまりのような姿をしている。海の中で育ち、陸で大きくなって、空も飛ぶ。ゴジラ映画のなかでは「難敵」のひとつともいう。
私が西成田作品に、「どこかで見たことのあるなにか」を感じたのは、たぶんわが子が持っていたこの種の図鑑で怪獣になじんでいたことが大きい。ウルトラマンに出てくる怪獣の記憶も影響していたようだ。
これらは単に外形の類似でしかない。が、作家本人もそんな反応があることは承知しているのではないか。
「ゴジラ」は、核実験から生まれたという設定で映画化された。第一作は昭和29(1954)年。その何年か後、阿武隈の山里の映画館で見た。怖かった。それから特撮の映画・テレビがはやり、いろんな怪獣が生まれた。
若い知り合いは、帰りに美術館へ寄るといっていた。息子が西成田作品にどう反応したか、興味がある。
0 件のコメント:
コメントを投稿