2021年12月8日水曜日

夕焼けの通夜

        
 「人間(ひと)とは、妙な生きものよ。悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事をはたらく」

40代のとき、池波正太郎の『鬼平犯科帳』や『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』を読みふけった。矛盾に満ちた人間模様が描かれる。なかでも、冒頭に紹介した火付盗賊改役長谷川平蔵の述懐には感じ入ったものだ。

それを、テレビで鬼平役の中村吉右衛門がつぶやく。いかにも鬼平とはこんな人間だったか、と思わせる表情と口調で。

原作同様、テレビの「鬼平犯科帳」も欠かさずに見た。その鬼平役の吉右衛門さんが11月28日に亡くなった。訃報に接して以来、ずっと彼の鬼平が脳内のスクリーンで闘い、語り、食べている。

そこへ別の訃報が届いた。カミサンの友達の姉が急に亡くなった。いわき民報の告別式の案内欄を見て、カミサンが声を発した。「これ、もしかして」。友達に電話をかけると、そうだった。享年83。

 友達には息子がいる。少し離れたところに住んでいる。私の長男と同級なので、子どものころからよく知っている。その彼がフェイスブックで伯母の死を伝えていた。実家の隣が伯母の家だ。前日まで元気にしていたという。

母親が父親の都合でアメリカへ行っているときには、伯母が彼の面倒をみた。小さいころは「おかあさん」と呼んでいた。

すると翌日、彼がまたフェイスブックで母親と一緒にいた愛犬の急死を伝えた。伯母の死と、実家の愛犬の死と。一番ショックを受けているのは母親。母親はあっという間に一人ぼっちになってしまった――なんてことだ。

カミサンが友達の姉の通夜へ行くので、アッシー君を務めた。冬だから日の入りが早い。黒いシルエットと化した阿武隈の山並みの上に夕焼けが広がっていた=写真。その向こうに浄土がある、そう思わずにはいられなかった。

私は故人を知らない。カミサンを介して情報を得ただけだが、今回は彼のフェイスブックで人柄を知った。

「母がいつも口にしていた家族を思いやる言葉」「ニコニコと笑う母が傍にいてくれるだけで、どれだけ安心だったでしょうか」。香典返しの遺族のあいさつ状にも、それを感じた。

吉右衛門さんのような有名人の死はショックだが、自分たちの暮らしと結びついているわけではないので、まだ冷静に受け止められる。新聞の「お悔やみ情報」でも、どこのだれだかわからない人の場合は、通り過ぎる風景と同じだ。つまりは無縁。

これが友人・知人や係累(今回はカミサンの友達の姉=友達の息子の伯母)といった有縁(うえん)の人だと、遺族ならずとも喪失の感情がわく。突然の死なら、なおさらだ。

昼は伯母の告別式、夕方には愛犬の火葬と、告別式の翌日、彼がフェイスブックで報告していた。

友情は喜びを二倍にし、悲しみを半分にする――という言葉がある。告別式の2日後、友達が家に来た。私から愛犬の話をした。

友達の息子も、なるべく親と過ごそうと思っている、と書いていた。頼むよ、そうしてくれよ。目の前にいれば、肩をポンとやりたい気持ちになった。

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