2022年6月24日金曜日

『女たちのシベリア抑留』

            
   家の2階は度重なる大きな地震で、ファイルに入った資料や本が崩れたままだった。直近の“崩れ”は3月16日深夜に起きた。いわきで震度5弱だった。

このごろ、カミサンが2階も含めて家の片付けを続けている。「こんなのがあったよ」。これはと思った本が出てくると、私に見せる。

自分で読んだ本が多い。岸恵子の『ベラルーシの林檎』(朝日新聞社、1993年)をパラパラやっていたら、指が止まった。女優兼作家がテレビ局の取材でリトアニアを訪れたときの文章だ。

「長かった抑圧の半世紀、朽ち果てるにまかせていた日常生活の基盤修復に今、国をあげて力の限りを尽くしている。けれどその道すがら、リトアニアの人たちは1991年1月13日の『血の日曜日』の惨事を忘れてはいない」

「血の日曜日」とはソ連末期、独立運動が高まるリトアニアにソ連軍が侵攻し、リトアニアの民間人が死傷した事件を言う。

チェコスロバキアでは1968年、変革運動が起きる。いわゆる「プラハの春」だ。8月、ソ連軍を主体にしたワルシャワ条約機構軍が国境を越えて侵攻し、チェコ全土を占領した。そして今年(2022年)、ロシアによるウクライナ侵攻が起きる。

ロシア通によれば、連邦を構成していたそれぞれの国が独立しても、ロシア人には旧連邦は自分たちの土地という意識が強い。その典型がプーチン大統領なのだとか――。

たまたま移動図書館から借りた小柳ちひろ著『女たちのシベリア抑留』(文藝春秋、2020年第4刷)=写真=を読んでいる。

それによると、先の世界大戦では、終戦直後にソ連軍が満州や樺太に侵攻し、兵士を中心に約60万人をシベリアに抑留した。そのなかに数百人の女性がいた。

日赤と陸軍の看護婦や看護助手などが主で、収容所の病院で捕虜たちの看護に当たったという。

前に立花隆著『シベリア鎮魂歌――香月泰男の世界』(文藝春秋、2004年)を読んでわかったことがある。

豊富な地下資源が眠るシベリアに不足しているのは労働力。資源を開発するためには囚人を働かせよ――

「帝政ロシアも、ソ連も、ロシア国民にひどいことをしてきた」(立花)。ドストエフスキーもそれで一時、シベリアへ送られた。ソルジェ二ツィンも収容所暮らしを余儀なくされた。

先の大戦が終わるころ、ヤルタ会談が行われる。その流れのなかでソ連は北海道占領を画策するが、アメリカに反対される。ならば、というわけで「スターリンは、急に、満州で得た捕虜をシベリアに送って、強制労働に服させることを思い」ついた(立花)。

詩人の石原吉郎が、収容所で友人が亡くなる前、取調官に対して発した最後の言葉を記録している。「もしあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」

このごろは、ウクライナの戦況報道に接するたびに、日本人が経験したシベリア抑留の歴史が思い浮かぶ。

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