2022年6月11日土曜日

俳僧一具の屏風・上

        
 もう35年以上前になる。夏井川下流域をフィールドに、いわき地域学會の最初の総合調査が行われた。成果は『夏井地区総合調査報告』という大冊になって世に出た。

江戸時代後期、磐城平藩・山崎村の浄土宗名越(なごえ)派本山、専称寺で修行し、福島の大円寺住職を経て、江戸に移り住み、俳諧宗匠として活躍した出羽国生まれの俳僧一具庵一具(17811853年)を担当した。

調査・研究のイロハも知らずに誘われて、発足したたばかりのいわき地域学會に入会した。初代の代表幹事・里見庫男さんの指示で一具を調べることになった。

一具とは何者? その時点では、知識はゼロに等しい。『いわき市史』や歴史が専門の先輩に聞いて、おぼろげながら一具の輪郭が浮かび上がってきた。

どうしたら一具の「人と文学」をとらえることができるのか。先輩に生地の山形県村山市で発刊された『俳人一具全集』(昭和41年)を借り、別の先輩には関連する資料の提供を受けて、あれこれ模索を重ねているうちに、「俳諧ネットワーク」という視点でなら門外漢でもなんとかやっていけそうだ、という見通しがついた。

里見さんからは折に触れて、「古書市場から入手した」と、『俳人一具全集』や一具の自画自讃の軸物、短冊をちょうだいした。

俳諧ネットワークは身分を超え、地域を超えて形成される。一具のそれは磐城・福島・須賀川をはじめ、江戸、常総、出羽、はては蝦夷地の松前まで広がっていた。一方では、僧としての名越派のネットワークもある。

阿武隈高地の川内村にも一具の門人がいた。佐久間喜鳥で、彼は俳諧関係その他、膨大な史料を残した。

いわき地域学會が『川内村史』の刊行を受託したとき、川内村と草野心平、喜鳥を中心にした幕末の俳諧ネットワークを担当した。

確か、最初の総合調査が終わったころだと思う。地域学會の先輩から、いわき市内の某家に「一具屏風」があることを教えられた。機会があればいつかはと思っていたが、先輩が急死したため、屏風を拝観することはかなわなかった。

先日、やはり同じ地域学會の仲間から電話がかかってきた。「一具屏風を見た」という。「一緒に見に行きませんか」。願ってもない申し出だ。

ほどなく、仲間と屏風を見に行った。六曲一隻(ろっきょくいっせき)だった=写真。和室に座った人が隠れるくらいの高さで、一曲ごとに和紙に書かれた一具直筆の俳句が張られている。

所有者は知らない人ではない。先祖は名主だったという。檀徒ではないが、専称寺関係の史料もある。やはり、人と人とがつながるネットワークの中で、一具屏風が同家にもたらされたのだろう。屏風の俳句については後日、紹介したい。

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