世界的ベストセラー小説『帰れない山』のイタリア人作家による二拠点生活体験録――という宣伝文に引かれて、本屋へ出かけた。
2月末のことだ。新刊だから総合図書館にはまだ入っていないだろう(今は入っている)。これは買って手元に置いといてもいい、そんな直感がはたらく。
パオロ・コニェッテイ/関口英子訳『フォンターネ 山小屋の生活』(新潮社、2022年)=写真。久しぶりに身銭を切って本を手に入れた。
イタリアの大都会ミラノで生まれ育った作家コニェッテイは、30歳で仕事にも恋愛にも人間関係にも行き詰まる。
春、孤独を求めて森で暮らしたソローたちに触発されるようにしてたどり着いたのが、標高1900メートルのアルプス山麓にある小集落フォンターネだった。
コニェッテイはそこで山の自然に癒され、土地の人間と交流するなかで心身の回復を図る。いわば、『帰れない山』の舞台裏がわかる体験録として、あらためて光が当てられ、邦訳が出た。
コニェッテイは20歳になるまで、毎年夏、山で過ごす「野性の少年」だった。自信を失った彼は、そのころの自分に再会しようと、渓谷の山小屋で自然と向き合う日々を送る。
やがて村に住む家主のレミージョ、次いで牛の高地放牧のためにやって来た牛飼いのガブリエーレと友達になる。
春から夏、夏から秋へと移り変わる自然。近くまでやって来る牛の番犬、そして野生の生き物たち。コニェッテイは自然の営みと人間の暮らしに触れて、次第に書く力が湧いてくる。
3人とも、申し合わせたわけではないが、本格的な雪になる前の10月末には山を下りることを決めていた。
レミージョとガブリエーレは、面識はあっても友達づきあいはなかった。やがて10月のある日、3人はコニェッテイの山小屋で別れのワインと料理を楽しむ、というところで体験録は終わる。
著者略歴によると、コニェッテイは、今は1年の半分をアルプス山麓で、残り半分をミラノで過ごしながら執筆活動に専念している。
二拠点生活で思い出すのは、哲学者の内山節さんだ。長らく東京と群馬県上野村との往復生活を続けている。
その内山さんと同じ自然観を吐露する場面がある。自然と人間の関係には西も東もない、それを再確認できる。
「僕の周囲にある、樹木や草原や渓流からなる、一見したところひどく手つかずで野性的に見える景色も、実のところ人間の手によって何世紀もかけて造りあげられたもの」だ。
そして、こんな見解に至る。「アルプスの山々には荒野(ワイルダネス)は存在せず、長い人間の営みの歴史があるのだ。それがいま、放棄の時代に直面している。(略)終(つい)に山が人の手から解放されたからといって、失うものはなにもなかった」
使い込まれて安定した山里の景観が、過疎、あるいは高齢化によって人の手が加わらなくなり、やがて寂しく荒れた自然に戻る――日本の山里と同じことがアルプスでも起きているようだ。
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