2022年6月29日水曜日

今こそ文学を

            
 ロシアがウクライナに侵攻して以来、なぜそうなったのか、なにがそうさせたのか、という思いが強くなって、たまに図書館から地政学や歴史の本を借りてくる。

 しかし、それは権力者を頂点とする政治や行政を理解するための本、いわばマクロな視点で語られる。

 私は新聞記者になって最初に「サツ回り」をした。昭和40年代後半で、主に交通事故や事件の取材を担当した。

 現場を見るごとに、警察の話を聞くごとに、ミクロの視点を持たないといけない、そんな思いが強くなった。

同じ1カ月の交通事故でも1件1件様態・原因が違う。自損、追突、側面、あるいは正面衝突。出勤途中、営業中、あるいは単なるドライブ。酒気帯び、居眠り、わき見、病気。

いろんな要因が重なって事故が起きる、という意味では、一般則は当てはまらない。個別・具体で見ていくしかない。

 結婚して、長男が生まれて間もなく、十二指腸潰瘍で入院した。そのころ、「荒地」派の詩人鮎川信夫のエッセーを読みふけっていた。

病気も個性――。診断は同じ十二指腸潰瘍でも、発症までの経緯は1人1人違う。独身か家族持ちかだけでなく、飲酒の有無、対人関係、性格その他、もろもろの要素が絡む。

そんな意味の文章に触れて、交通事故も1件1件違うのだ、ほんとうは当事者の内面にまで踏み込んだ取材をしないと事故の原因はつかめない、という思いが深まった。

で、きょう(6月29日)の本題。読書推進運動協議会から毎月、カミサンに「読書推進運動」が届く。6月号の巻頭は「今こそロシアの文学を」だった=写真。岩手大准教授の松下隆志さんが書いている。

「今こそ」とは、むろんロシアによるウクライナ侵攻が続いている「今」のことだ。ロシアには「西欧に対する強い憧れと反発」がある。それは「『西欧派』と「『スラブ派』の対立」となって現れたが、「私たちはドストエフスキーやツルゲーネフらの古典を通してそうした対立を単なる知識を越えた生身の人間の葛藤として感じ取る」ことができる。

「生身の人間の葛藤」とは、つまり個別・具体、ミクロの視点でロシアの人々の心に触れるということだろう。それこそ「プーチンの政治」より「ロシアの文学」は広く深く大きい、ロシアの人間の内面に触れようと思ったら、ロシアの文学を読もう、という趣旨のようだ。

その一例として、松下さんは現代作家ウラジーミル・ソローキンの近未来小説『親衛隊士の日』(河出書房新社、2013年=松下さん訳)を挙げる。

2006年に書かれた作品で、「独裁者による恐怖政治、西側世界との断絶、天然資源による脅し、中国への経済的依存など、その予言的な内容にあらためて注目が集まって」いるという。

残念ながら、いわき市立図書館には入っていない。リクエストするか、本屋に注文するか。いずれにしても、ロシアの今を、人間を考えるうえでぜひ読みたい本だ。

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