日曜日は夏井川渓谷の隠居で過ごす。隠居への行き帰り、平・平窪地区を通る。ふだんは幹線道路(国道399号)から一つ山側に入った田んぼ道を利用する。街に用事があるときには国道399号を直行する。
昭和48(1973)年に結婚して数年間、下平窪の市営住宅(庭付き木造平屋)に住んだ。令和元年東日本台風では、平窪全体が水害に見舞われた。私が住んでいたところも水につかった。
水害から2年4カ月後の今年(2022年)2月中旬、私らが住んでいた近くの国道交差点の角に、「豚饅(ぶたまん)よしの」がオープンした。
隠居からの帰りは、時間が夕方近くになる。豚饅を買うために店へ行くと、「完売」の札がかかっている。時間を早めても、買えない日が続いた。
平寄りの夏井川沿いに中華料理店がある。そこが「豚饅よしの」の本拠地。豚饅専門店を出した若いシェフ吉野康平さんの父親が開業した。シェフも店のスタッフだ。
震災後に「いわき昔野菜フェスティバル」を介して知り合った。以来、ときどきラーメンを食べに行く。
令和元年東日本台風では店が浸水した。その後の苦闘を、ネットとメディアを通じて知った。「豚饅よしの」開業に向けてクラウドファンディングを行った。そのときの本人の文章がネットに残る。豚饅にかける思いがつづられている。
話は1年ちょっと前にさかのぼる。国際NGOのシャプラニール=市民による海外協力の会の「みんなでいわき!2021」オンラインツアーが開かれた。
シャプラニールは東日本大震災・原発事故の直後からいわき入りし、緊急支援から生活支援に軸足を移して交流スペース「ぶらっと」を運営した。現地支援の一環として、毎年、「みんなでいわき!」ツアーも実施してきた。
10年の節目に当たる2021年はコロナ禍のため、オンラインでいわき~東京~全国各地を結び、被災地の今の様子やシャプラとつながりのできた人々の思いを聴いた。
限定30人で募った参加者には、事前に豚饅やオリーブパスタなどの「いわき特産品セット」が贈られている。
津波から命からがら逃げた旧知の大工氏、台風で大きな被害を受けたオリーブプロジェクトの農業木田源泰さん(平・平窪)らが参加した。
自店から参加した吉野さんは「コロナはにくんでも、豚まんはにくまん」のキャッチコピーが朝日の「天声人語」に取り上げられ、すっかり有名になった豚饅製造のエピソードなどを語った。
晩春のある日曜日、たまたま午後から街に用事があって、昼前に隠居を出て平窪を通ったら、豚饅専門店の前に何人か並んでいる。これは買えるぞ――。カミサンが車を降り、列に並んだ。やっと手に入れた。その後は午後になっても店が開いているようになった。
ザクッとさいころ状にカットした豚肉を口にすると、肉汁のうまみが広がる。これがたまらない。酒のつまみにもなる=写真。梅雨寒にはなおいいかもしれない。
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