2022年6月3日金曜日

少子・高齢社会

        
 渓谷が青葉一色になると、白い花が咲く。ウツギが多い。そのなかでヤマボウシの白い花(実際は「総苞片」)=写真=はよく目立つ。大好きな花のひとつだ。花を見ながら、いっとき、憂き世を忘れる。

 44歳のとき、今でいう「認知症」について、「ぼけるが勝ちかも」という見出しで、こんな文章を書いた。

 ――ぼけ症状のひとつ、記憶障害を予防するには適度なストレスが有効だという。素人にはしかし、この「適度な」の度合がよく分からない。過度なストレスは逆に脳神経細胞を破壊し、ぼけ症状を促進させるというから、過度と適度をどこで区別したらいいのだろう。

 会話は適度な方に入るとか。「要するに、夫婦げんかをしてればぼけないってことだっぺ」「相手を否定する(けなす)んじゃなくて、プラスの方向に働くようなものなら、ね」「……」

 社会を球体に例えるなら、人間は内側から身内・仲間・世間・無縁の四層構造の中で生きている。身内は文字通り夫婦や親子のこと。この集団の特質は人情・無遠慮だという。

 それで分かったのだが、夫婦げんかは大抵この無遠慮が導火線になっている。受けて立たなければいいものを、遠慮がないからつい頭に湯気が立ってしまう。本当は犬も食わないはずが、過度なストレスを招いているとなると、ここは大人になって少し遠慮することを自覚せねばなるまい。

 もっとも、ぼけてしまったら、それはそれで幸せなことだとは思う。介護する側にとっては大変な負担だが、当の本人は万事に恍惚としていられる。逆もまた真なりの伝でいうならば、「ぼけるが勝ち」なのである。――

 なぜ29年後の今、昔の文章を引っ張り出してきたかというと、40代で想像した70代と現実の70代はだいぶ違っていたからだ。

それに、時代環境が当時と今とでは全く変わっている。30年前は少子・高齢化社会がやがてくるだろう、といわれ始めたころだ。およそ30年過ぎて、今はそのど真ん中にいる。

 「少子化」という言葉が「国民生活白書」に登場するのは平成4(1992)年度。それから間もない時期のコラムだった。少子化が地域社会にどう影響するのかは、全く想像がつかなかった。

 これはいわき市外の例だが、秋祭りの三匹獅子舞は、昔は氏子の家の小学生(長男)が演じるものと決まっていた。ところが今は子供の数が減り、学校の統廃合で他地区から通っている女子児童も獅子頭をかぶるようになった。

 いわき市内でも事情は変わらない。地区民総出の体育祭ではリレーなどに出場する子どもの確保に苦労するようになった。

 「高齢化」も地域社会を直撃している。隣組から抜ける高齢者がいる。独り暮らしの高齢世帯が多くなったので、同じ人が何年も隣組の班長をやっている。回覧箱が戻ってこないと思ったら、高齢者の家が何日も留守で、そこで止まっていた……。

団塊の世代が間もなく「後期高齢者」の仲間入りをする。これから隣組はどうなるのだろう。「ぼけるが勝ちかも」などとは言ってられないぞ――ときどき、そんな思いに沈む。

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