拙ブログで最初に「新型コロナウイルス」という言葉を使ったのは令和2(2020)年2月23日だ。
飲み会があって、タクシーで帰った話を枕に、新聞には「白い恋人」製造1カ月停止(観光客減で販売が落ち込む)、2月前半の百貨店売上1割減、テレワーク・時差出勤、J1選手とのハイタッチイベント中止、屋内遊園地休園といった文字が目に留まる、ということを書いている。
福島県内も事情は同じ。バドミントン教室やJAEAの成果報告会(いわき)、講演会などが中止になった。いわきサンシャインマラソン大会が中止され、地域の植田公民館まつり、内郷公民館まつりの中止が決まった――。
次いで同年4月1日付では、福島県内でも福島市で初めて2人(70代男性と20代女性)の新型コロナウイルス感染者が出た。どこで感染したか、がわからない。
福島県の感染者はこれまで2人だった。1人は「ダイヤモンド・プリンセス号」に乗ったいわきの70代男性。もう1人はエジプト旅行帰りの郡山の70代女性。おおよその感染経路が特定できたが、今回はそんなわけにはいかない。いつでも、どこでも、だれでも――というところまで感染が広がりつつあることを示す。
併せて、東京から里帰りした大学生の“孫娘”が母親とやって来た。いつもそうするように、カミサンがカレーライスを作った。母親はハンドルキーパー。20歳を過ぎた“孫娘”と、焼酎の田苑を飲みながら話した。
「ほんとうは(ジイバアには)近づかない方がいいんだろうけど」。年寄りに気を遣いながらも、東京での様子を報告して、こう自分の気持ちを口にした。「ぼんやりとした不安」。芥川龍之介が自殺する前、同じことを言っていたのを思い出す。
確かに、今回はパンデミック(世界的大流行)になった。世界が「ぼんやりとした不安」に覆われている――。
そんなことを書いてから2年余りがたつ。この間、高齢者を中心に新しく開発されたワクチンを3回接種するところまできた(いわきでは5月30日、4回目の接種が始まった)。
感染症に関する「ぼんやりとした不安」は薄らいできたが、ロシアがウクライナに侵攻したことで生まれた別の「ぼんやりした不安」が広がっている。
円安による輸入価格の上昇、コロナ禍による物流費の高騰、ロシアへの経済制裁による供給ストップなどが重なって、市民の暮らしはこれからどうなるのか。
庭のシラン=写真=に聞いてみた。ずっと黙っている。あきらめかけたころ、ささやくような声が聞こえてきた。「知らん」。それはそうだろう。植物だってこれからどうなるかはわからない。
代わってカミサンがいう。「玉ネギが倍になった」。メディアによれば、去年(2021年)の北海道の不作と中国・上海のロックダウンが影響しているのだとか。「ぼんやりとした不安」の正体がこれか。
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