2022年10月20日木曜日

牧野富太郎と浜通り

                     
   来年(2023年)の春にスタートする朝ドラ「らんまん」は、「日本の植物学の父」牧野富太郎(1862~1957年)がモデルだという。

富太郎は明治23(1890)年8月、植物採集のために親友の池野成一朗博士と福島県浜通り地方を訪れている。常磐線が開通する前だ。

今の北茨城市から勿来の関を越え、北上を続けて宮城県に入り、さらに岩手県一関市にまで足を運んだ

先の土曜日(10月15日)、いわき市文化センターでいわき地域学會の第370回市民講座兼第30回阿武隈山地研究発表会が開かれた=写真。講師は同学會顧問の湯澤陽一さん。「牧野富太郎と福島県での足跡」と題して話した。

湯澤さんは元高校教師で、長年にわたるコケの研究で博士号を取得した。私よりはちょっと年配だが、現役のころは歴史研究家の故佐藤孝徳さんとともに、ときどき平の田町で酒をくみかわした。

市民が参加する日曜日の「山学校」では講師役を引き受けた。おかげで、たびたび阿武隈の山野を巡り、実地に植物を観察することができた。

次回の朝ドラのモデルが牧野富太郎だということで、悠々自適の身ながら講師を買って出てくれた。

湯澤さんが講師を務めるのは何年ぶりだろう。私が代表幹事になってからだと、平成24(2012)年秋に、やはり「牧野富太郎博士の阿武隈山地研究」というテーマで話をしている。

顔を合わせるのは、たぶんそれ以来だ。およそ10年ぶりとはいっても、会えば飲んで話したときのことが昨日のことのようによみがえる。

今の体調の話になった。「腹の脂肪は減らないのに、足の筋肉はすぐ減る」。ユーモアは健在だ。

前半は富太郎の生涯、業績、東大教授との確執、盟友池野成一朗などを紹介し、後半で浜通りでの足跡をたどった。

明治23年8月13日。池野と北茨城市からいわき市に入り、常磐湯本温泉の山形屋に泊まる。採集した標本ラベルの産地に勿来や添野、湯本がある。

翌14日は双葉郡広野町に着いた。標本ラベルから、この日は折木温泉に泊まったのではないか、と湯澤さん。

15日は双葉郡浪江町の「百合屋」に泊まった。が、浪江には百合屋という旅館はない。「百足屋」の誤記ではないか、という。

16日の宿は不明だが、17日は「湯元」に泊まった。いわき市の湯本温泉まで戻ることは考えられない。湯澤さんが相馬市史編纂室に問い合わせたところ、同市の「蒲庭温泉」ではないかということだった。

交通機関の発達していないところは馬車を利用した、という。つまりは、自分のアシが頼りのフィールドワーカーだ。その情熱にはほとほと恐れ入る。やはり「大奇人」には違いない。

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