震災後の平成27(2015)年8月、知り合いのフランス人写真家デルフィーヌが「じゃんがら念仏踊り」を見たいというので、故義父の生家へ案内したことがある。いとこの生家でもある。いとこが丁寧に応対してくれたのを、きのうのことのように思い出す。
前年の暮れに当主(いとこの兄)が亡くなった。月遅れ盆の入り(8月13日)に、「じゃんがら」の一行が来るというので、夕方、新盆回りを兼ねて、デルフィーヌと日本語のできるイギリス人女性、それにカミサンと私の4人で訪ねた。
「じゃんがら」を踊る青年会がやって来るまで、座敷で稲荷ずしを食べたり、麦茶を飲んだりしながらおしゃべりをした。
その家を外国人が訪ねるのはたぶん初めてだ。「国際結婚推進論者」だったといういとこの祖父(つまりはカミサンの祖父)の話になった。祖父は「2人がこの家に来たことを喜んでるよ」と、いとこが2人に伝えた。
デルフィーヌとは震災の翌年(2012年)5月、シャプラニールが平に開設した交流スペース「ぶらっと」で出会った。
彼女は津波や原発事故の被災・避難者を取材し、平成26(2014)年春、ベルリンで芥川賞作家多和田葉子さん(ドイツ在住)と「詩と写真展」を開いた。
その後もいわき入りし、浜通りの写真取材を続けた。平成27年も7月に続いて8月初旬にいわき入りした。
ということで、ここからはいとこの通夜の話だ。好間に住む義妹をピックアップしたあと、近くのいわき中央ICから常磐道を利用して、15分ほどで勿来ICに着いた。葬祭場はそのすぐ近くにある。
4時をちょっと過ぎたばかりだった。空はまだ昼の光なので、高速道でも運転に支障はなかった。
とはいえ、追い越し車線をビュンビュン車が過ぎていく。若いころは主にこの車線を走ったが、今回はほぼ走行車線を利用した。
「トシ(年齢)を考えろ。ゆっくり走る車があってもイライラするな」。そんな戒めの声が胸の中で反響していた。
高速道を利用するのは何年ぶりだろう。70代に入ってからは初めてかもしれない。帰りは暗くなる。一般の公道を利用することにした。
葬祭場から南下すると、海の近くで国道6号(旧バイパス)に出る。勿来から泉、小名浜と北上するにつれて空が薄暗くなる。
対向車両もライトをつけている=写真(助手席でカミサンが撮影)。好間へ延びる国道49号バイパスを折れ、義妹の家に着くころには夜のとばりが降りていた。
夕方5時になると晩酌を始める。薄暮の運転はめったにしない。交通事故の心配がないのはいいのだが、家にこもっている分、夜の運転は疲れる。通夜からの帰りもそうだった。
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