郡山市立美術館で「ソール・ライター展」が開かれていることを、9月27日付のいわき民報で知った。これは作品を見に行かないと――。10月2日の日曜日、夫婦で出かけた。きのう(10月3日)、その道行きについて書いた。
アメリカ人のソール・ライター(1923~2013年)は、どうということもない日常に美を発見する写真家として、近年、注目されるようになった。私も一昨年(2020年)2月のEテレ「日曜美術館」で初めて、人と作品を知った。
なにか心が揺さぶられて、同年1月に発行された写真集『永遠のソール・ライター』(小学館)を買った=写真上。
東京で始まった展覧会「ニューヨークが生んだ伝説の写真家 永遠のソール・ライター」に関連して発行された写真集で、郡山市立美術館の企画展もタイトルをそのまま踏襲し=写真下(チラシ裏)、写真集も発売していた。
彼は1950年代からファッションカメラマンとして活躍した。ところが、80年代には一線を退き、忘れられた存在になる。それから四半世紀が過ぎた83歳のとき、写真集が出版されて世界的に脚光を浴びる。
「いつもの毎日でみつけた宝物」「日常にひそむ美」。ソール・ライターの写真哲学に触れて、久しぶりにバイブレーション(共振)がおきた。
地域新聞の記者をしていたときの経験と反省からいえば、ニュースは本来、日常の暮らしの中に埋もれている。それを掘り起こして社会に伝えたときに初めてニュースになる。事件・事故だけがニュースではないのだ。
ソール・ライターに引き寄せていえば、「いつもの毎日の中でみつけるニュース」「日常にひそむニュース」をものにできるかどうか。
そんな問題意識が残存しているせいか、車で外出するときには必ずデジカメを携帯する。夏井川の堤防や渓谷の森で出合った風景、花、キノコなどを撮る。
助手席にカミサンがいれば、カメラマンになってもらう。夕焼け、雲、雨、街路樹、道行く人……。被写体はいつでも、どこにでもある。
夏の雨の日、スーパーの駐車場で買い物から戻るカミサンを待っていたとき、雨に濡れたフロントガラス越しに自販機がおぼろに見えた。色とデザイン的な面白みを感じてパチリとやった。ここを人が通っていれば、まさにソール・ライターの構図だ――。
「カメラを持って出かけて写真を撮る。瞬間を捉えるのが楽しいから」「神秘的なことは、馴染みの深い場所で起こる。なにも、世界の裏側まで行く必要はないのだ」
彼の言葉を拡張すれば、モノクロよりもカラー写真がより日常の美を引き立てるように感じられた。
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