若い仲間がフラッとやってきた。宮城県名取市の市史編纂(さん)にかかわるようになったという。
名取市ですぐ思い出すのは、東日本大震災が起きた直後、NHKが生中継した「平野を襲う大津波」の映像だ。
平成23(2021)年度の新聞協会賞を受賞した際、ヘリから空撮したカメラマンが当時を振り返って、雑誌『新聞研究』の同年10月号に次のような文章を寄せた。(大筋は拙ブログから)
「その日、私はヘリ取材の当番として、福島放送局から仙台空港に出張し、ヘリポートに待機していた」
仙台市上空から仙台港へ出たあと、リアス式海岸をめざしたヘリは雪雲に行く手を阻まれて南下する。と、名取川の流れを遮るように一筋の白波が河口からさかのぼっていくのが見えた。
「田園をのみ込みながら、巨大な生き物のようにザーと平野を走る大津波。先端がどす黒くなった大津波は住宅や車、農業用ハウスなどに襲いかかり、あっという間に巻き込んでいく」
このあと、テレビカメラマンらしい自制がはたらく。「生中継になっていることを思い出し、アップになりすぎてはいけないと、映像をワイドにすると、土煙が上がり、黒く染まった海岸線そのものが平野を飲みこんでいた」――。
名取市史では当然、東日本大震災も需要なテーマになるだろう。若い仲間とけんちん汁(豚汁)=写真=をつつき、焼酎をなめながら、震災を詠んだ市民の俳句と短歌の違いについて議論した。
市民は災禍をどう受け止めたのか。朝日歌壇に被災者自身の作品が登場するのは4月に入ってからだった。
それからさらに1カ月後の5月16日、いわき市在住読者の俳句「被災地に花人のなき愁いかな」(斎藤ミヨ子)と、短歌「ペットボトルの残り少なき水をもて位牌(いはい)洗ひぬ瓦礫(がれき)の中に」(吉野紀子)が載った。
吉野さんはカミサンの高校の同級生だ。カミサンが吉野さんから聴いた話が胸底に残っている。
吉野さんは俳句を詠む。が、震災直後はなぜか「ペットボトルの……」の短歌が生まれた。それを「朝日歌壇」に投稿すると、複数の選者が選んだ。年間の優秀作品に贈られる「歌壇賞」にも選ばれた。
自分自身の体験ではなく、大津波で壊滅的な被害を受けた豊間方面へ出かけたときの実景を詠んだそうだ。
3・11の巨大地震は東北地方の沿岸部に甚大な被害をもたらした。その惨状は五七五では詠みきれない、プラス七七が必要だったのだろうと私は感じた。
吉野さんの作品を例に、若い仲間と俳句と短歌の違いを話した翌日、今度は別の知り合いから吉野さんの連絡先を教えてほしい、という電話が入った。
自分で編んだいわきゆかりの歌とコメント(つまりは「折々の歌」のようなもの)を本にしたい、ついては吉野さんから了解を取りたいという。作品はもちろん、「ペットボトルの……」だ。
吉野さんは、今は東京に住む。カミサンが電話をかけると了解した。あとは知り合いが連絡することで手続きがすむ。
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