2022年10月15日土曜日

山椒の赤い果皮

        
 だいぶ前のことだが、友人から電話がかかってきた。裏山に山椒(さんしょう)の木があって、赤い実をいっぱい付けている、どうしたものかという。摘んで乾燥させ、果皮だけをすりつぶすと、いい「粉山椒」になる。そのとおりにしたらしい。

 30~40代のころ、山菜・キノコ採りに熱中した。採ったらあとはカミサンに――というわけにはいかない。

 野菜はともかく、食べたこともない山菜やキノコはどう調理したものか、初めての人間には見当もつかない。

春のコゴミ(クサソテツ)は簡単だ。ごみを取り除いてゆでるだけ。あとはマヨネーズで和(あ)えればいい。

しかし、夏のタマゴタケは、そうはいかない。真っ赤な傘と黄色い柄から毒キノコを連想する人が多い。で、これも最初は私が下ごしらえをして、調理をした。すまし汁をつくる。アルミホイルで蒸し焼きにする。

 タマゴタケのうまさを知ってからは、採って来てカミサンに渡せば、すぐ調理してくれるようになった。

 山椒は春の木の芽・若葉、未熟な夏の青い実、熟した秋の赤い果皮を利用できる。それだけではない、幹は擂り粉木になる。

 里山から山椒の木の芽を採ったり、夏井川渓谷の隠居に自生する若木から青い未熟果や赤く熟した実を摘んだりすることが何年か続いた。

若葉は和えもの・吸い口・彩り、あるいは山椒味噌にする。青い実は佃煮・塩漬け(青山椒・実山椒)、赤い果皮はすりつぶして粉山椒にする。いずれも独特の香りと、舌を刺激する辛みを楽しむ。

隠居の庭の若木が枯れたこともあって、震災後は山椒の採取・調理を忘れていたが、友人の電話が頭に残響していた。

たまたま先の日曜日(10月9日)、カミサンが自分の実家で片付けものをした。午後、渓谷の隠居から実家へ迎えに行くと、庭で草むしりをしていた。

庭といっても林のような広さだ。わきに蔵があって、庭との間に車が出入りできるスペースが伸びる。その境で山椒の若木が赤い実をいっぱい付けている――カミサンからいわれて、がぜん、粉山椒をつくってみようという気になった。

赤い果皮は、量的にはそうあるわけではない。これをとりあえず干す=写真。枝と中の黒い種は取り除く。乾いたら果皮をすり鉢に入れて、擂り粉木ですりつぶす。

同じようにして30代のころ、自分で栽培した唐辛子をベースに「マイ七味」をつくったことがある。

粉山椒は自家製。陳皮(ミカンの皮)はむいた皮を干して粉に。荏胡麻(えごま)は直売所から。青海苔や麻の実は、これはスーパーなどから買うしかない。

七味といっても、必ず7種類が必要だというわけではない。わが家の食卓で香りと辛みを楽しむだけだから、五味でも六味でもいい。

こう物価が上がっては、自分で使えるカネは目減りする。それを補う意味でも、自分でつくる、自分で調達する、そんな生活術が大事になってくるのではないか。どうも、高度経済成長期前の日本の里の暮らしが思い出されてならない。

0 件のコメント: