2022年10月7日金曜日

山里のドライブ・下

        
 福島県は東から、浜通り・中通り・会津の3地域に区分される。その真ん中あたり、中通りの郡山市(国道4号)と浜通りの双葉町(国道6号)を結ぶ幹線道路が国道288号だ。

 途中、大熊町~田村市~三春町と、南北に連なる阿武隈高地を横断する。私は田村郡常葉町(現田村市常葉町)で生まれ育った。中心部は288号線の一筋町だ。

小学2年生になったばかりの昭和31(1956)年4月17日夜、町の西方で火災が発生し、強風にあおられて、わが家を含む通りの大半が焼失した。その後、表の通りが拡幅され=写真(2012年8月上旬撮影)、家の裏にも道ができた。

 やがて車社会が到来する。しかし、常葉町内を除けば、船引町や三春町の中心市街は狭隘なままだった。

 慢性的な交通渋滞を解消するため、郡山市と田村市船引町の間にバイパス群が建設される。三春町では市街の南側に新しい道ができた。船引町では市街の北側にバイパスができつつある。

 日曜日(10月2日)に郡山市へ出かけた。帰りは国道288号~同349号~同49号を利用した。

船引バイパスは3工区に分かれる。三春側の1工区はすでに開通し、2工区のうち一部が9月28日に開通した。そこを初めて通った。

常葉町西向地内で288号線とつながる3工区は、いったん事業が中止になったが、震災後に復活し、被災地復興を目的にした「ふくしま復興再生道路」として整備が進められている。

この288号線は原発事故と切り離せない。あのとき、大熊町や富岡町の町民は「西へ避難を」と指示された。288号線が主な避難路になった。

マスメディアやフリーの記者たちは逆に、この道を利用して取材に入った。「原発震災」をテーマにした本には、この国道がちょくちょく出てくる。

3・11から1カ月余りたった4月22日、「警戒区域」内の田村市都路町古道地内から東側の区間が通行止めになった。

 その後、段階的に通行止めが解除され、平成27(2015)年3月1日には常磐富岡IC~浪江IC間が開通し、常磐道が全通する。

これに伴い、常磐道へのアクセス道路として、山麓線(県道いわき浪江線)経由で288号線が通れるようになった。令和2(2020)年12月には、通行止めがすべて解除された。

前にこんな話を聞いたことがある。大熊町だか富岡町だかの人は、東京へ行くのに288号線を利用して郡山から東北新幹線に乗る。遅くまで東京にいられるからだという。

原発震災から1年半ほどがたったとき、天皇・皇后(現上皇・上皇后)陛下が川内村を訪問された。全村避難後、村長が帰村宣言をし、春に役場機能が村に戻った。村の視察と激励が目的だった。

やはりというか、当然というか、常磐線ではなく、東北新幹線で郡山駅に着いたあと、車で川内村へ入られた。

渓谷のために狭隘だった双葉郡内の288号線もかなり整備された。双葉郡からは郡山経由の東京が近くなるわけだ。

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