おととい(11月9日)は晩酌を始めた直後、テレビ(民放)の画面が突然、スタジオに切り替わった。女子アナウンサーが「スタジオが揺れています」というや否や、家が揺れ出した。
テレビより揺れが遅れた。ということは、東京は震源に近い。いわきは遠い。やがて震源が茨城県南部とわかる。最大震度は同県城里町で5強。福島県中通りでは4のところもあったが、浜通りは2だった。
前日は、一定規模の地震が起きたあと、さらに大きな地震が発生する可能性のある「後発地震」について、政府が注意を促す情報を発表することに決めた、というニュースに接した。
翌日の新聞で確かめる。むろん、これは東日本大震災(地震名は東北地方太平洋沖地震)と、その2日前の3月9日に発生した「前震」を教訓にしている。
平成23(2011)年3月9日は平日だった。たまたま日曜日に行事が重なり、夏井川渓谷の隠居へ行くのが水曜日にずれ込んだ。そこで前震を経験した。そのときの様子をブログから抜粋する。
――間もなく正午、というときに、家がカタカタいいはじめた。急に風が吹き始めたかと思うくらいに、揺れは外からやってきた。
「地震かな」。軽い身震いのようなものがしばらく続いた。そのうち、全体が揺れ始めた。「やっぱり地震だ」。横揺れだった。長かった。
こたつで本を読んでいた。真正面の対岸は岩盤の露出した急斜面だ。県道も含めて、しょっちゅう落石がある。地震の影響(落石)がないものか。目前の山に神経を集中した。見た目では、「崩れ」はなかった。
ラジオ(NHK)はすぐ特番に切り替わり、津波への警戒を伝え、臨海の役場に電話を入れて状況を聞き始めた。
「あれっ」と思った。「港に人はいませんか。いたら注意してください」。まるで命令しているようなアナウンサーの口調だ。有事になると、NHKはオカミになるわけだ。なるほど――。
「本震と余震」はともかく、「前震と本震」は頭になかった。当然、2日後に千年に一度という超巨大地震、つまり後発地震が発生するとは思っていないから、アナウンサーの口調を皮肉っぽく紹介したのだった。
さて、話はガラリと変わる。自然災害だけが怖いのではない。人災もまた人命を、財産を奪う。その最たるものが交通事故だろう。
渓谷の隠居と道路を仕切る柵(囲い塀)が7月初め、イノシシを避けようとした車によって壊された。
なぜ柵を設けたかというと、春のアカヤシオの開花期と秋の紅葉の時期に行楽客が入り込むからだ。
門柱がある。ふだんはチェーンをかけているが、それでも人が立ち入る。隠居の敷地内に植えた葉ワサビがそれで盗掘され、苗木から育てたタラの芽も枝ごと切り落とされた。小さな菜園も足跡だらけになった。その自衛策でもある。
事故から4カ月。前に柵を作ってくれた知り合いの大工氏に、相手方の保険会社を介して直してもらった=写真。ひとまず今季の行楽シーズンには間に合った。
0 件のコメント:
コメントを投稿