この秋の空の雲=写真=を見上げる体力はもうなかったろう。今年(2022年)3月に胃がんが見つかった。ステージ4だったという。
あるときから通院をやめて、地域医療機関による訪問看護に切り替えた。結果的には自宅での終末ケアになった。訃報に接するまで全く知らなかった。
カミサンとは同年齢で、子どもが小学生のころ、「モノ言う母親」の一人としてPTA活動に携わった。
家族ぐるみで付き合った。夏には狭いわが家で「カツオパーティー」を開いた。カツオの刺し身をメーンに、何家族も集まって、大人はアルコールと談論を、子どもたちも食事をして、庭で線香花火をやったり、店の文庫(地域図書館)で絵本を読んだりして楽しんだ。
画家や陶芸家、新聞記者や市職員、カミサンのPTA仲間と子どもたち、総勢20~30人が居間と庭にあふれた。
大人だけ、特に父親だけ楽しむのは申し訳ない。子どもたちにとっても楽しい場であるように。つまり、田町(平の飲食街)から家に場所を移しての、免罪符のような集まりだった。
ある年は、張り替えを予定していた無地の押入襖(ふすま)をキャンバスにした。「さあ、なにを描いてもいいぞ」と号令をかけると、子どもたちは好き勝手に筆を動かした。そう、「これをやってはダメ」「あれをやってはダメ」の反対を試してみたのだった。
襖に落書きをするのは、大人もやっている。新しく建てられた友人の家で飲み会を開いたとき、無地の襖に画家が墨で絵を描き、私も即興で1行詩をつくり、書家がそれを書き添えた。そうしたアナーキーな楽しみを子どもたちにも経験させたかった。
それからもう40年ほどたつ。子どもたちは、ほとんどが親になった。その子どもたち、つまり私たちの孫世代もすでに高校生や中学生になっている。
3年前、故陶芸家の回顧展が平のエリコーナなどで開かれたとき、カツオパーティーに参加した娘さんと久しぶりに顔を合わせた。
会場に入るやいなや、娘さんが駆け寄ってきて「ごぶさたしてます、〇〇です」「おお!」「私、もう50歳になります」。これには驚いた。
知人の訃報を聞いて、カミサンが自宅を訪ねると、アメリカに住んでいる長女を除いて子ども3人が応対した。すぐカツオパーティーの話になったそうだ。
通夜の晩、夫婦で葬祭場へ行くと、アメリカから帰国した長女がカミサンを見つけて近寄り、ハグしたあと、開口一番、「カツオパーティーは楽しかった」という。
それを聞いて、カツオパーティーは大人だけでなく、子どもたちにとってもいい思い出になったのだと知る。
あのころ小学生だった彼、彼女たちも、その後、人生の辛酸や挫折を味わったことだろう。幼いころの楽しい思い出が、少しでも自分を支えてくれる力になっていたとしたらうれしい。
通夜の席で、髪の毛の薄い老人と中年になった子どもたちが「あのとき」にタイムスリップをした。故人もその輪の中に入ってきてニコニコしていた。
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